詩的原理の再構築
萩原朔太郎と吉本隆明を超えて
野沢啓 著
萩原朔太郎『詩の原理』と吉本隆明『言語にとって美とはなにか』という近代詩以降の二大理論書を徹底的に読み解き、その理論的問題点を剔出し、言語隠喩論的立場から根底的な批判をおこなう。吉本表出論の虚妄性を暴露し、その意識言語論的な意識の優位性でなく、詩的言語における言語の隠喩的創造性、世界開示性にもとづく先行性を主張し、「言葉があつて、詩人が生れてくる」という朔太郎の詩の原理を確認する。『言語隠喩論』『ことばという戦慄――言語隠喩論の詩的フィールドワーク』につづく言語隠喩論三部作の完結篇。
(オビより)
言語隠喩論三部作の最終篇として構想された本書は、近代にあって朔太郎の『詩の原理』、現代からは吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』をテキストに、徹底した読みによって一貫された。この読みっぷりが鮮やかだ。けれん味もなくはったりもなく、私にとってはピッケルやザイルを駆使して一歩一歩山頂を目指す孤影の登山者を思わせた。停滞がささやかれる今日の詩の状況にあって、かならずや起爆剤の役目を果たすにちがいない。――倉橋健一
はじめに
1 なぜ『詩の原理』『言語にとって美とはなにか』なのか
2 『詩の原理』『言語にとって美とはなにか』の理論的脱構築の要請
第一部 萩原朔太郎『詩の原理』
第一章 『詩の原理』の前史
1 蒲原有明との関係
2 朔太郎における散文コンプレックス
3 朔太郎におけるリズム論の破綻
4 詩的原理論の宿命
第二章 『詩の原理』がめざしたもの――その限界と到達点
1 『詩の原理』の構成
2 『詩の原理』の提起したもの
3 『詩の原理』刊行後に見出された詩の原理
第二部 吉本隆明『言語にとって美とはなにか』
第三章 『言語にとって美とはなにか』の構成と批判的解析
1 〈自己表出〉と〈指示表出〉の問題点
2 言語の美ではなく表現の価値へ
3 時枝誠記の吉本批判
4 作品は意識を超える
5 ほんとうに転移などあるのか
6 〈構成〉という設定の破綻
7 〈架橋〉という無意味な概念
8 理論でも〈立場〉の選択でもなく言語それ自体へ
第四章 新たな詩的原理の可能性へ
1 『言語にとって美とはなにか』をどう総括するか
2 詩的原理をどう再構築するか
[付論]
吉本隆明の言語認識
北川透さんへの手紙
さらなる言語的探究へ――あとがきにかえて
野沢啓(のざわ・けい)
1949年、東京都目黒区生まれ。
東京大学大学院フランス語フランス文学科博士課程中退。フランス文学専攻(マラルメ研究)
詩人、批評家。日本現代詩人会所属。
詩集――
『大いなる帰還』1979年、紫陽社
『影の威嚇』1983年、れんが書房新社
『決意の人』1993年、思潮社
『発熱装置』2019年、思潮社
評論――
『詩の時間、詩という自由』1985年、れんが書房新社
『隠喩的思考』1993年、思潮社
『移動論』1998年、思潮社
『単独者鮎川信夫』2019年、思潮社(第20回日本詩人クラブ詩界賞)
『言語隠喩論』2021年、未來社
『[新版]方法としての戦後詩』2022年、未來社
『ことばという戦慄――言語隠喩論の詩的フィールドワーク』2023年、未來社