浦上の原爆の語り
永井隆からローマ教皇へ
四條知恵 著
失われたものの痕跡を辿る旅
長崎・浦上に投下された原爆は、はたして戦後どのように捉えられ、語られてきたのか。戦後70年のいま、実証的に明らかにすることで見えてきたものはなにか。
「浦上のカトリック教徒が、この70年間、どのように原爆を語ってきたのかを辿ることは、吹き荒れた暴力のあとで、どのように人びとが生きる意味を見出してきたかの軌跡でもある。」(本文より)
第一章 歴史の語りを繙く
歴史叙述についての先行研究
歴史の物語論に対する批判
原爆被害についての先行研究
浦上の原爆の語り
第二章 浦上と永井隆
一 「浦上」
浦上の歴史と原爆被害/浦上と差別
二 永井隆の燔祭説
永井隆の足跡/永井隆の燔祭説
三 永井隆の燔祭説をめぐる論争
一九五〇年代から七〇年代/一九八〇年代以降/燔祭説をめぐる論争の問題点
第三章 焦点化する永井隆
一 占領期の長崎における原爆の語り
原爆投下後から占領軍による検閲開始までの変遷/永井隆の登場/「ピース・フロム・ナガサキ」の発祥と国際文化都市建設の礎論/朝鮮戦争の勃発による反動
二 焦点化する永井隆
占領軍との親和性/占領期の長崎における燔祭説の位置
第四章 永井隆からローマ教皇へ――純心女子学園をめぐる原爆の語り
一 純心の沿革と学校の被害
二 純心女子学園をめぐる原爆の語り
一九四五(昭和二〇)年から一九六一(昭和三六)年まで/一九六一(昭和三六)年以降/ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日と恵の丘長崎原爆ホーム/一九八一(昭和五六)年以降の純心女子学園における原爆の語り
三 二つの語りが意味するもの
第五章 浦上の原爆の語り
一 占領期
二 ローマ教皇庁と日本のカトリック教会の動向
三 浦上のひび
四 長崎における原爆被害をめぐる行政と市民活動の流れ
五 原水爆禁止運動とカトリック教界
六 カトリック地域共同体の変容
七 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来訪
八 カトリック教界への波紋
日本のカトリック教界/長崎のカトリック教界
結 び
四條知恵(しじょうちえ)
広島県広島市生まれ。早稲田大学第一文学部史学科卒業。財団法人広島平和文化センター広島平和記念資料館学芸員として勤務。九州大学大学院比較社会文化学府博士課程修了。博士(比較社会文化)。現在、長崎大学核兵器廃絶研究センター客員研究員。