ブラジルの環境都市を創った日本人
中村ひとし物語
服部圭郎 著
「クリチバはイトシのおかげでできた街」
ブラジルが世界に誇る環境都市クリチバ。「ごみ買い」プログラム、公共施設の設計・整備……クリチバにおける多くの自然公園整備、環境政策の背景で手腕を振るったのは日系一世・中村ひとしであった。ブラジル人から絶大な信頼を得て、日本的感性を活かした都市づくりを進めた彼がブラジルでなしとげた仕事の全貌と、家族・友人の愛に支えられたその半生をつづる。写真53枚を収録。
はじめに――クリチバという都市の「奇跡」
1 クリチバの奇跡を起こした日本人
2 ブラジルへ発つまで――子供時代~学生時代
3 ブラジルへの旅立ち
4 クリチバでの公園づくり
5 レルネルとの出会い
6 パラナ州への転職
7 環境局長への昇進
8 ランドスケープ・アーキテクトとして八面六臂の活躍
9 ローカル・アジェンダ開催とグレカ市長の登場
10 パラナ州の環境局長時代
11 レルネル-中村の「黄金時代」の終焉
12 宴のあと
13 中村をとりまく人々
14 南米からみた日本という課題
15 中村ひとしというブラジル、そして日本への贈り物
中村矗(なかむら・ひとし)
1944年千葉県生れ、兵庫県明石市で育つ。1969年、大阪府立大学農学研究科修士課程修了。1970年、ブラジルのパラナ州に移住し、農業に従事。同年末、パラナ州クリチバ市の市役所職員に就職、農場管理の仕事に勤める。71年より同市市長となったジャイメ・レルネルがクリチバの緑地整備・公共施設の建設を積極的に推進するようになると、その計画に公園課長補佐として尽力する。このときの働きが認められ、79年、レルネルが二期目の市長に就いた際に公園部長に抜擢され、以後、レルネルの信任のもと、多くの公園を建設・整備する。89年、レルネル三期目の市長就任に伴ない、環境局長に登用される。95年、レルネルのパラナ州知事に伴ない、パラナ州環境局長に就任。2007年、退官。レルネル政権のもと、緑地整備、環境問題、スラム問題の解決に大きな貢献をし、クリチバ市をはじめ複数の自治体から名誉市民の勲章を受けている。共訳書に『都市の鍼治療』(ジャイメ・レルネル著、服部圭郎と共訳、丸善、2005)。
【著者略歴】
服部圭郎(はっとり・けいろう)
1963年に東京都で生まれる。東京そしてロスアンジェルスの郊外サウスパサデナ市で育つ。東京大学工学部土木工学科を卒業し、カリフォルニア大学環境デザイン学部で修士号を取得。株式会社三菱総合研究所を経て、2003年から明治学院大学経済学部で教鞭を執る。2009年4月から2010年3月にかけてドイツのドルトムント工科大学客員教授。現在、明治学院大学経済学部教授。技術士(都市・地方計画)。専門は都市計画、地域研究、フィールドスタディ。主な著書に『若者のためのまちづくり』(岩波書店、2013)、『道路整備事業の大罪』(洋泉社、2009)、『衰退を克服したアメリカ中小都市のまちづくり』(学芸出版社、2007)、『サステイナブルな未来をデザインする知恵』(鹿島出版会、2006)、『人間都市クリチバ』(学芸出版社、2004)。共著に『下流同盟』(朝日新聞社、2006)、『脱ファスト風土宣言』(洋泉社、2006)、『都市計画国際用語辞典』(丸善、2003)など。訳書に『世界が賞賛した日本の町の秘密』(洋泉社、2011)。共訳書に『都市の鍼治療』(丸善、2005)、『オープンスペースを魅力的にする』(学芸出版社、2005)。