未来の窓|2011

 
[未来の窓166]

沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉中間報告

 年もおしつまってこのほどようやく沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉第三回配本の比嘉康雄写真集『情民』が刊行された。連続して第四回配本の石川真生写真集『FENCES, OKINAWA』もできる予定である。次回予定の森口豁写真集『さよならアメリカ』の原稿も入稿したばかりで、これは残念ながらすこし遅れて二月ごろになりそうである。
 八月下旬に大城弘明写真集『地図にない村』、九月末に東松照明写真集『camp OKINAWA』がつづけて刊行されたものの、さすがに毎月刊行とはいかないことがわかってきた。これまでほとんど文字ものの編集ばかり手がけてきたわたしとしては、解説と作品リストぐらいしか文字のない写真集の編集作業とはどんなものかいまひとつわかっていなかったところがあり、写真原稿や解説原稿さえもらえれば順調に進捗するものと思っていたのである。
 ところがそこに思わぬ落とし穴があった。レイアウトから装幀まで引き受けてくれた戸田ツトムさんが、写真の配列と細かいレイアウトを実現するには、できれば解説原稿を読んでからにしたいという希望があり、それから三か月はみてほしいという要望が出てきたからであり、その一方では解説原稿がひとによってはレイアウト校正ができてこないと書きにくいというケースも出てきたからである。これではどちらが先かというジレンマに陥ってしまう。さいわいこれまでは監修者の仲里効さんか倉石信乃さんが担当してくれたものが三冊、残りの一冊もレイアウト校正を先に出してくれることになったので事なきを得たが、今後ははたしてレイアウト校正なしで解説者が原稿を書けるものかどうか心配がないわけではない。実際のところ、かりに解説原稿が先にあがったとしても、そこから三か月かかったのでは、こちらの刊行計画が大幅に遅れてしまうことになってしまう。先に写真の配列案ができていれば、なんとか解説を書いてもらうことも可能だが、戸田ツトムさんに配列まで頼みたいということになると、完全にデッドロックにはまってしまうことになりかねない。ここが頭の痛いところなのである。
 そこへもってきて、当初こちらが思っていたのとは異なって、同じシリーズでも写真家の作品の性格や質によって用紙、インクの種類や色、さらにはインクの盛り方にまで細かい変更がくわわり、まさに一点ごとに手触りの異なる写真集が製作されることになった。さいわい印刷所現場も戸田さんの要求する水準がどのあたりにあるのか、その目標はなにかということを徐々に理解して対応してくれるようになったので、色校の再校どりなどは最小限で抑えられるようになってきたが、はじめのころは本刷りの刷り出し段階での戸田事務所担当者の立ち会いと細かい修正の繰り返しもあり、これではいったいどれぐらい経費がかかることになるのか非常に心配したほどなのであった。
 すでに本欄のコラム「[未来の窓163]沖縄問題を展望する力になるために──沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉刊行はじまる」でもその時点での詳細な状況を伝えたつもりだが、その後、このシリーズについての記事や書評が多くはカラー写真入りで各紙に続々と掲載され、沖縄の地元紙「沖縄タイムス」「琉球新報」はもちろん、「毎日新聞」十月三十一日号、「読売新聞」十一月七日号(今福龍太氏評)、「朝日新聞」十一月十四日号(北澤憲昭氏評)といわゆる三大紙に三週連続で書評が掲載されるなど高い評価をしてもらった。なかでも「読売新聞」での今福氏の評には励まされるものがあった。《重要なのは(……)それぞれの映像が沖縄に対峙するときの迫真性と強度だ。沖縄という土地、それが経験した過去、その危急の現在に対しカメラをもっていかに過激に介入し、深い批評の眼差しを向けつづけてきたかである。風景の奥にある民の集合的記憶を掘り起こそうという情熱である。(……)沖縄から戦後という時空間の意味を問い直し、その時空間のいまだ終わらぬ苛烈な現前を深く私たちの視線に刻み込むために、この写真集シリーズは計り知れない力をもつだろう》と。
 さらにこれを書いているまさにこの瞬間に朝日新聞福岡本部の西記者から「朝日新聞」十二月七日号が届いた。それによると西部版だと思われるが、「沖縄とは? 写真に見る歴史」と題された西記者による記事が掲載されており、そこにも沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉が大きく紹介されている。「戦後の沖縄を切り取ってきた写真家の仕事が見直されている」と始まるこの記事は、シリーズ〈琉球烈像〉の内容紹介のあと、監修者仲里さんのコメントをはさんで以下のように結んでいる。――《普天間飛行場の移設問題、薩摩の琉球侵攻400年、琉球処分から130年――。昨年来、「沖縄とは何か」が内と外から問われている。戦後沖縄の現実、あるいは「根っこ」をとらえてきた写真家の仕事にヒントが見いだせるかもしれない》と。もちろんヒントは見いだせる。そしてこのシリーズを通じて沖縄の現実を見てもらいたいのである。
 このシリーズにかかわっている写真家の活動はそれぞれの写真展が精力的になされていることもあって、そういう会場での宣伝、販売もおおいに期待できる。いま現在、沖縄県立博物館・美術館で開催中の比嘉康雄展「母たちの神」では付属の「ミュージアム・ショップ」でこのシリーズの全点販売をお願いしており、すでに成果は上がりはじめている。また石川真生さんの個展も来年一月には開かれる予定であり、大城弘明写真展も横浜の「新聞博物館」での来年の開催が決まっているはずである。さらに東松照明氏の大規模な回顧展が来年、生地の愛知県立美術館で開かれることになっている。
 こうした活発な写真展の展開はもちろんこのシリーズとは別に決まっていたものが多いのだが、こうしたなかでそれぞれの写真家の仕事がこのシリーズでの写真集の内容といかに交差し評価されていくのか、わたしとしても関心をもたざるをえないし、期待しないわけにはいかないのである。
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[未来の窓167]

書物復権の新しい試み

 また書物復権の書目選びの時期がやってきた。例年、十二月になるとまず翌年の復刊候補書目十点のノミネートをおこない、これで第一次候補リストを作成して読者アンケートによるリクエストをハガキやインターネット投票で募集する。こうして市場調査をおこなった結果をふまえて三月には各社で復刊書目を決定し、五月下旬に一斉復刊するという流れになっている。今回で十五回目をかぞえることもあって、新機軸として、最近、業界で話題になっている電子書籍にかんして書物復権8社の会でも取り組んでみようということになった。
 そこで今回は申し合わせにより、各社二十点をノミネートし、通常の各社五点の復刊(書籍版)のほかに、ノミネートして実現できなかった十五点の候補のなかから最低十点はいわゆる〈電子書籍〉化対応できるようにしようということになった。と言っても、ここで言う〈電子書籍〉とは巷間いわれている各種端末で読めるような最新のデジタル・フォーマット化された種類のそれではなく、一方では、これまでも進めてきた紀伊國屋NetLibraryの登録アイテムとしてであり、もう一方では、デジタル・パブリッシング・サービス(DPS)を通じてのオンデマンド復刊である。小社ではいずれも早くから取り組んできているものであって、ことさらに新しい試みというわけではないが、今回は書物復権8社の会の共同事業としておこなわれるところに新しい展開があると言える。
 そのうち新しい試みとしてのオンデマンド復刊では復刊ドットコムの参加があることが今回の目玉のひとつと言えそうである。これは読者リクエストを書物の復刊に結びつける地道な事業を推進してきた復刊ドットコムが約四〇万人の登録利用者に向けて書物復権リクエストを呼びかけようとするもので、今回ノミネートされた書目のなかから書籍版またはオンデマンド版で復刊することを出版社が指定したもののうち、それぞれの本ごとに設定された基準部数を上回る注文が獲得された場合、出版社はオンデマンド復刊を義務として実現するというものである。もちろんリクエストしてくれた読者も購入が義務づけられる。いわば受注生産なのだが、オンデマンド復刊の場合は初期コストがクリアされれば以後の注文は一冊ごとにプラスになり、原則的に品切れになるということはない。問題があるとすれば、価格が相対的に高額になること(通常の本の感覚からすれば一・五倍~二倍)と造本が必ずしもオリジナル版と同等というわけにいかない場合があるということである。それでも最初のころのオンデマンド本のように粗末な造本と印字ではなく、十分に通用するレベルに達しているのがいまのオンデマンド本である。出版社とすれば、初期コストを回収するのに十冊か十五冊程度の注文があれば事足りるので、それだけの事前注文を復刊ドットコムが獲得してくれれば安心してオンデマンド復刊が可能になるという構想なのである。
 専門書出版の場合、昨今の趨勢では、過去に実績のある本であっても、ある程度の部数の重版になるとそのためのコストがなかなか回収できないのが実情であり、書物復権のような運動で初回にかなりの部数が配本になるような場合はともかく、それ以外の重版となると、どうしても二の足を踏まざるをえなくなっている。品切れにしたくなくても、そうならざるをえない事情があるわけである。採算があうには本の性格にもよるが、最低ロットでも二~三百部とか五百部といった見通しがないとなかなか重版するところまでいかないのが専門書出版のつらいところであるが、その本を必要とする読者にとっては値段が少々高くなっても手に入れたいというのが専門書の特徴でもある。こうした読者の要望と出版社の経済事情がなんとか連携できる可能性があるのがオンデマンド復刊ということになる。この意味で、復刊ドットコムの参入による復刊チャンスの増大は今後の専門書出版のありかたにとってけっして少なくはない福音となりうるかもしれないのである。
 紀伊國屋NetLibraryでの電子化にかんしては、すでにこれまでも触れたことがあるが、大学図書館を中心とした電子書籍化と言えるもので、書籍のページをパソコンの画面上に再現する。ライセンス購入すれば学内でのアクセスが可能となる仕組みである。研究者を中心に今後の利用がより活発になることを期待しつつ必要なアイテムをすこしでも多く準備する機会になれば、今回の試みもおおいに意味のある結果をもたらすことになる。
 今回の書物復権運動はこうした新しい試みを展開するにあたって、これに関連するひとつのおおきな課題に直面している。これまでのオンデマンド復刊はもちろん紀伊國屋NetLibraryへの出品にあたってネックとなっていたのが海外版権のある翻訳書で、これらはあらかじめその埒外におかざるをえなかった。海外版権の必要な本は翻訳し販売するためには事前に契約を交わさなければならないのだが、基本は前払い金を払い、本ができたあとにはその製作部数、売れ部数、在庫数等の報告をする義務があり、売れ高にもとづいて一年ごとに精算していくという契約になっている。前払い金分をオーバーすると毎年、差額を精算していくことになる。ちなみに前払い金が残っているあいだは、その金額は経理的には前払い版権料と呼び、それを超えて精算の対象になった部分は未払い版権料と呼ぶ。こういうなかでオンデマンド本や紀伊國屋NetLibraryでの注文などはそのつど発生する売れ高ということになり、そういう部数をどう処理するか、これまでの版権契約書では想定されていない。というか、まったく新しい課題としておおきくクローズアップされてきたのが、海外版権料交渉の問題なのである。書物復権8社の会のなかでも何人かで以前からこの問題への対処を考えてきたのだが、今回の試みにもかかわることとしていよいよ具体的に動き出す必要が出てきた。専門書出版にとっては共通の課題となるので、このさいわれわれでモデルを作ろうということになったわけである。
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[未来の窓168]

専門書の電子書籍という自己矛盾

 二〇一〇年という年は「電子書籍元年」とも呼ばれ、出版業界全体が「電子書籍」に振りまわされた年だと言えるだろう。いきなりこう書き出すと、時代遅れな書籍一点張り主義者とでも見られかねないが、必ずしも電子書籍一般を否定しているわけではない。前号でも触れたように、電子書籍といってもさまざまな種類があって、小社なども積極的に参加している紀伊國屋NetLibraryでは、ライセンス購入者は書籍のPDFデータをウェブ上で見ることができ、必要な部分をコピー&ペーストできるように、テキストデータが画面と連動している。これを透明テキスト付きPDFデータと呼ぶのだが、これなども立派に電子書籍と言っていい。
 ただここで問題になっているのは、そういう種類の電子書籍ではなく、アマゾンの「キンドル」だとか、アップル社の「iPad」とかソニーの「リーダー」とか、あまた出まわりだした端末デバイスに対応したフォーマット仕様の電子データのことである。きょう(二月七日)の「朝日新聞」などでも大きく取り上げられているように、マスコミ(や業界紙)はこういう事態にたいしてなにかと大げさなかたちで話題作りに力を入れたがる。すると、出版社のほうも乗り遅れてはならじ、とばかりに猫も杓子も「電子書籍」となるわけだ。「電子書籍」とタイトルの付いた講演会などには出版人が殺到するという構図はとても見ていられない。かく言うわたしなどもこの種の会にいきががり上、二つほど出てみたが、すくなくともコミックや小説、実用書などにかんしてはともかく、われわれのような専門書の世界にとっては絵に描いた餅で、およそ現実性に乏しい。逆に、こういうデバイス用に作られた書籍の画面を見ていると、紙の本の強さ、メディアとしての強度があらためて認識できる。読みながら動画が作動するとか、音が出るとか、語学教材のように場合によっては役に立つジャンルもあるだろうが、専門書の読解においてはこうしたものは不要であるし、ときには害毒でさえある。「活字と対話する孤独な作業の中からしか、自分だけの音楽も映像も生まれてこない。それこそが想像力を錬磨する読書の醍醐味ではないか」と佐野眞一が「朝日新聞」の記事で言うとおりである。何から何まで手取り足取りでないと読書ができないような環境作りが進められようとしているのだ。活字を自主的に追うことをつうじて想像力や思考力が身につくのである。
 ところが、ここへきて専門書出版の世界においても思いがけない動きが出てきた。慶應大学メディアセンターが中心になって日本語学術書の電子書籍版を作り、学内での配信実験をおこなうというものである。学生や大学院生を対象にiPadを貸し出すかたちでモニターを募り、電子書籍がどのように利用されるものかを実験し将来の可能性を探ろうというわけである。基本方針としては、出版社から学術書の電子コンテンツを提供してもらい、図書館の個人認証システムを利用した資料貸出サービスを延長したダウンロード・モデルで、これらのコンテンツをさまざまなデバイスまたはPCで閲覧できるようにしようとするものである。
 つい先日、呼びかけに応じて慶應大学図書館での説明会に出席してきたが、印刷制限や同時アクセス数などまだまだ未整備の状況での強行スタートというところが実情で、出版社としても利用者への課金をどうするのか、著作権者への了解の問題等もあり、そうやすやすと同調しづらい事情があるし、なによりもこれがどこへ行き着こうとしているのかヴィジョンがなかなか見えてこないところに疑問がないわけではない。もちろん慶應大学メディアセンターの試みはまじめなものであるし、その善意は否定することができない。とはいえ、モニターに参加しようとする学生たちのモニター応募理由などを読むと、世の中の電子書籍ブームに簡単に乗せられただけと思われる動機も目につく。読書経験の浅い学生たちだからマスコミなどの大騒ぎに影響されやすい点は割り引かざるをえないとしても、いかにも携帯世代らしく本を持ち歩くのは大変だからとかいう意見を読むと、本を情報としてしか読めない世代がどんどん出てくることにつながらないか、心配になる。
 そればかりではない。慶應大学のプロジェクトには電子書籍のオンライン販売を視野に入れている大日本印刷のほかに、書籍とはこれまで関係の薄かったと思われる企業が何社も参入しようとしているが、これらの企業がなんらかのビジネスチャンスを見込んでいることはたしかであり、これにたいして慶應大学のせっかくのプロジェクトが草刈り場にならないか、という心配もないとは言えない。
 そう心配ばかりしていてもラチがあかないので、わたしとしても(紙媒体の)書籍を出発点として電子書籍化への流れのある種の必然性を整序しておく必要を感じる。当然ながら、辞書や事典などのように情報の切り分けができるもの、一過的な情報を売るものは紙から電子化への流れは避けられない。情報誌や週刊誌、さらには新聞さえもこうした必然のもとにあるのは誰もが認めるところだろう。その一方で、もともと小部数であり内容的にも専門的で、読書経験をすること自体が反復的かつ高度に重層的にならざるをえない専門書やある種の文学書、芸術書などの場合は、どこかの部分を断片的に情報として獲得することがなにかを与えてくれるわけではない。こういう読書は全体的経験であって、そうした経験が電子書籍から得られることはまずありえない。すぐれた書籍は熟読されることこそを要請し、研究等の必要があったときに初めてその電子化データとの共在が意味をもつと考えればいい。その意味では学術書の電子書籍化とは書籍の亡霊か、せいぜいその補完物でしかない。電子書籍の便利さとか融通性とは保管や検索のためではあっても、本を読むことの本質とはそもそも筋がちがう。専門書の電子書籍化とは自己矛盾である。
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[未来の窓169]

世界への情報発信としての〈琉球烈像〉

 沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の第5回配本、森口_^豁【かつ】^_写真集『さよならアメリカ』がいよいよ刊行される。昨年末の第4回配本、石川真生写真集『FENCES, OKINAWA』以来すこし間があいてしまったが、とりあえずことし最初の〈琉球烈像〉をお届けできるのはうれしいことである。
 すでにこれまで何度か本欄で述べてきたように、写真集作り、それも今回のような本格的な大判サイズでの精度の高い写真集の製作というものは、わたしの編集経験のなかでもあまり前例がなかったこともあって、なによりも時間とコストがかかることが頭痛のタネであるが、それでもマスコミをはじめ関係者にも評判がいいこともあって、着実に広まっていることは確かである。単発の写真集ならともかく、ここまで大がかりな写真集シリーズともなると、いったいどのくらい売れれば良しとするべきなのかがわからないので、初版部数も価格もやむをえざる部分もあるとはいえ、いまだに手探り状態である。一般の大型書店でさえも写真集コーナーを常設しているところは少ないし、またこのシリーズをちゃんと揃えてくれて棚出ししてくれる店はさらに少なくなる。沖縄関連本のなかに入れるにしてもサイズも大きすぎるし値段も高いとなると、書店で取り扱ってくれるのは相当な覚悟がいるのではないかと懸念する。そういう意味では書店の気持ちにはほんとうに頭が下がる思いである。  とはいえ、書店での店頭販売に一定の限界があるとすれば、どうすればいいのか。
 沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉は、写真集として〈琉球〉という一地域を集中的にとりあげたテーマの一貫性と、とりわけ政治問題、社会問題、軍事問題としても現代日本ばかりでなく現代世界のさまざまな矛盾と軋轢の集約点となっている〈沖縄〉を、たんにそうしたモチーフで撮られた写真としてではなく、そこに生活する人びとの歴史的、宗教的、日常的世界をさまざまなアングルから捉えている。戦争の傷跡をなまなましく残す数多くの衝撃的な写真からも、その背景に広がる豊かな風土性や民俗性が同時に浮かび上がってくる。そうした写真というメディアが必然的にもつ多様にして多重な情報性は、そのメッセージ性や思想性と同じようにさまざまな立場や視点から解釈され、批評されるべき対象となっている。そして言うまでもなく、そうした解釈や批評そのものがこんどは対象化された写真そのものから逆に批評を返されてくるという側面ももっているはずだ。監修者のひとり仲里効氏が言うように、〈眼差され撮られる対象から、眼差し撮る主体へ〉の転換が堂々と企てられている。〈沖縄〉はそうした視点から日本の〈本土〉へ、そして世界へみずからの存在を突きつけ、そこに蓄積された実存の力を発信しているのである。いまはとりあえずそうした豊かな価値の可能性を信じていきたい。
 さいわいなことに、〈琉球烈像〉の写真家たちの写真展が続々と開催されてきている。これまでもすでに沖縄県立博物館・美術館での比嘉康雄写真展「母たちの神」が没後十年を回顧して昨年十一月からことしのはじめにかけて開催されたが、ひきつづいてIZU PHOTO MUSEUM(静岡県長泉町東野クレマチスの丘)で移動展として五月まで開催中である。さらに〈琉球烈像〉第1回配本の大城弘明さんが中心となってこの三月十二日から五月八日まで横浜の日本新聞博物館(神奈川県横浜市中区日本大通【11】 横浜情報文化センター内)にて写真展「沖縄・終わらない戦後」が開催される。このほど沖縄タイムス芸術選賞写真部門奨励賞を受賞した写真集『地図にない村』の全一二三枚をふくむ大城さんの新聞報道写真家としても長年活躍された力量を存分に発揮された作品が展示される。ちなみに小社も協賛させてもらった本写真展はぜひ成功してもらいたいものである。こうしたイヴェントにそれぞれ対応して〈琉球烈像〉の写真集もそれぞれ付属のミュージアムショップで販売してもらっていて、これがなかなか好成績であり、継続的な販売もしてもらえそうである。
 これ以外にも写真家たちの小さな個展は沖縄を中心にいくつも次々に開催されていて、それぞれ大きな成果を上げている。こうした写真展を舞台とした写真集販売の現実性は想定以上のものがあり、これに連動してアマゾンをはじめとするオンライン書店や図書館での販売成果も上がってきている。
 小社ではホームページ制作会社のディキューブの提案で、〈琉球烈像〉のための専用サイトを準備している(http://ryukyu-retsuzou.com/)。ここには写真家たちの理解と協力を得てそれぞれ一〇枚ずつの写真を特別掲載している。それぞれの写真は写真集の版面をそのまま掲出するかたちで、必要なセキュリティガードは施しているが、基本的にはそれぞれの写真家のインパクトのある写真をフリーに見てもらうためのサイトであって、そのために小社のホームページから独立した独自のドメインをとってアクセスをしやすくしてある。また、同じ写真をiPadを通じても見ることができるように専用アプリでアップルストアからダウンロードできるようになった。こうしたセールスプロモーションの試みがどれだけ効果があるかは、これからの結果を見てみないとわからないが、できるだけ多くのひとにこのシリーズの存在と、さらにはその内容の充実度を知ってもらいたいための試みなのである。興味のある方はぜひアクセスしてもらいたい。
〈琉球烈像〉シリーズもこのあと、嘉納辰彦氏、伊志嶺隆氏(故人)、中平卓馬氏、山田實氏を次々と刊行予定である。ことしの前半に完結の予定であったが、若干の遅れは避けられなくなってきた。それでも東京国際ブックフェアがある七月上旬までにはすこしでも多く刊行しておきたい。思えば昨年のこのブックフェアでの新企画説明会でわたしみずから主要書店や取次関係者、マスコミ関係者の前で企画趣旨の説明をさせてもらったので、その成果を問うてみたいのである。
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[未来の窓170]

原発「安全」神話の崩壊

 三月十一日午後に起こった東日本大震災は観測史上最大のマグニチュード9・0を記録したばかりでなく、強力な大津波を誘発して未曾有の大惨事となった。被災地の皆様にはお悔やみとお見舞いを申し上げます。今後の大きな余震の心配もあり、ライフラインの復旧も十分でないまま避難生活を余儀なくされている被災者のこれからの生活の立て直し、産業の再構築など日本全体で取り組むべき課題も山積している。さいわい諸外国からの救援などもあり、壊滅的な打撃を蒙った被災地での死者、行方不明者の発見がいまも継続されており、いずれ被害の全貌が明らかになるだろう。いずれにせよ、この甚大な打撃は日本経済に深刻で長期に及ぶ影響を残すだろう。
 今回は地震以上に、そのあとにつづいた大津波によって海岸線の住宅地を中心に物的・人的被害が巨大化した。津波の予測などにたいする地元行政の準備の不十分さも指摘されているが、ある程度は「想定外」の自然災害であり「天災」と言わざるをえない面がある。それを「天罰」という発言でみずからの人間性の貧しさ、醜さを露呈した石原慎太郎東京都知事のような悪辣な人間もいるが、民衆レヴェルではさまざまな救援体制が幅ひろくおこなわれてきており、これを機に日本国民が経済的にも精神的にも強く立ち直るきっかけになることを希望する。
 しかし今回はさらに原発事故というもうひとつの大問題がその危険と欠陥を露わにするかたちで立ち現われた。地震と津波が天災だとしても、これは明らかに「人災」である。大震災でそれでなくても人命救助や鉄道・道路・ライフラインの復旧が急がれるなかで起こった福島原発の大事故はたんに「想定外」の地震と津波のせいにすることは絶対に許されない。これが「人災」だというのは、自民党政権以来の原子力推進派による、政権と御用学者と電力会社の利権まみれの共同謀議システムが約束してきた「安全」神話がどれだけデタラメで無根拠であったかをいみじくも露呈してしまったからであり、そのために急がれるべき人命救助などが後回しにされたり、地域住民が被曝地域から避難しなければならない事態を招いているからである。そのうえ、三〇キロ圏内ばかりでなく、東日本全体に放射性物質や汚染水をまきちらして農漁業に大ダメージを与え、近隣諸国はおろか世界じゅうからその不手際をあきれられている始末である。その現場責任を負うべき東京電力はみずからのミスをできるかぎり隠蔽して問題の発覚を遅らせ、事態を軽視してみせ、「想定外」を連発するばかりである。この無責任ぶりは人災を通り越して国家犯罪、企業犯罪と言っても過言ではない。
「国策」という名のもとに税金を特別交付金のかたちで電力会社にふんだんにばらまき、その豊富な資金をエサに今度は電力会社が貧しい漁村などの地域共同体をまるごと買い叩くかたちで原発を設置してきたのがこれまでの原子力推進派の手口だった。原子力安全・保安院も原子力安全委員会もすべて同類で、たとえば班目春樹・原子力安全委員会委員長(元東京大学大学院工学系研究科教授)にしても、関村直人・現東京大学大学院教授にしても、安全神話を最初から一貫して吹聴してきたではないか。これこそ御用学者の最たるものである。風聞ではこうした大学の原子力にかかわる各科には東電から五億円ほどの資金が流れているという。いかにもありうる話だろう。そうでもなければ、これほど御用学者丸出しの良心のかけらもない発言を繰り返せるはずがない。このひとたちの学術的・倫理的責任はきわめて重い。ひとことで言えば、原子力研究にかかわっている研究者はすべて御用学者である、と判断して間違いない。そこからは莫大な利権が付いてくる以上、原発にたいして批判的になること自体ありえないからだ。
 小社から一九八三年に刊行された柴野徹夫氏による『原発のある風景』という二冊本があり、それを読み返してみると、これまでの原発設置にかかわるもろもろの悪行の歴史がおそろしいほどの迫真力でもって伝わってくる。アメリカから原発導入をしたのは首相時代の中曽根康弘であり、自分は原発の父であるとまで豪語していたそうである。そう言えば、さきほど触れた石原慎太郎は中曽根派のごりごりのメンバーであり、「原子力がなくなったら停電だ」という恫喝をするほどの原子力推進派である。東京電力や関西電力を中心に日本の原子力推進派は、アメリカ産のもともと不完全な原子炉を購入させられ、安全性をなおざりに原発設置にやみくもに突進してきた。福島原発など初めから現場の技術者からも危険視されてきたのであって、こうした事実を知りながら原発を推進してきたひとたちの知的頽廃には背筋が凍るばかりである。原発を設置するためには、警察はおろか暴力団まで使って地域住民を調査し、脅し、札ビラで強引に籠絡する手口は『原発のある風景』で徹底的に暴かれており、いまもその基本的な手法は変わっていないという。おそろしいことに、原子炉に入る現場労働者たちはそれこそ「原発ジプシー」と呼ばれる日雇い労働者のようなひとも多く、原子炉内での事故にでも遭えば、それこそ闇から闇に葬られることもあるらしい。まるでギャングかスパイ映画のようなことがおこなわれているとすれば、これもまた大がかりな国家犯罪と言えるだろう。現地では東電社員はTCIAと呼ばれているとのことだ。そもそも一民間企業にすぎない電力会社に国の命運を預けるような体制がおかしいのである。
 こんなことを書くだけでも身の心配をしなければならないのかもしれないが、それほどに原子力推進のためには事故やミスや批判などは徹底して隠蔽・封殺されてきたのであり、今回のように露見したのはことがあまりにも大きかったからで隠しようがなかったからにすぎない。これまでも原子力関係者は情報をすこしずつしか漏らさなかった。原子力エネルギーという人知を超えた魔物をコントロールしようとする科学の傲慢さはもう捨てなければならない。原子力ではない代替エネルギーを本格的に考える時期がきているのである。
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[未来の窓171]

脱原発へのはじまり──浜岡原発全停止の意味

 五月六日、菅直人首相が浜岡原子力発電所の原子炉を全面停止する要請を中部電力にたいしておこなった。これは東日本大震災をうけて予想される東海地震の想定震源域にある静岡県御前崎市の浜岡原発を未然の事故から防止するという意味で、原発行政史上初めての英断であり、原発推進派のさまざまな妨害や圧力をはねのけての判断として高く評価したい。首相権限として原発の運転停止を指示することは法律上はできないが、中部電力側では「命令に近い重みをもっている」と受け止めている以上、この要請は現実のものとなるだろう。
 もともと浜岡原発は脆弱な土地の上に立地していると言われ、今回の東日本大震災レヴェルの大地震が起きれば、おそらく原発地区自体が液状化するだろうと懸念されており、福島原発以上の大惨事になることは目に見えている。だからこそ一刻も早く運転停止が求められてきたのである。中部電力は、定期点検中の3号機はもとより稼働中の4号機、5号機の停止を即座に実行すべきである。株主訴訟がどうとか言っている場合ではない。もしこの期に及んで、株主が自己利益のために原発停止に反対するとしたら、そのひとたちはたんなるエゴイストであるばかりか、電力会社の国民への裏切りに荷担する者と見なされてもしかたないだろう。
 川勝平太静岡県知事がいちはやく「福島第一原発の事故を受けて、安全確保に対する地元の要望を最優先した菅首相と海江田経産相の英断に敬意を表する」とのコメントを出したのは、地元の安全にたいする責任者として当然のことであるが、川勝知事が一貫して浜岡原発の停止を主張してきたことを他の原発地区の自治体首長たちも見習うべきだろう。それができないなら、原発導入に荷担してきたみずからの責任をとって辞職すべきである。
 こういう動きのなかで国策として原発を推進してきた自民党はみずからの責任を自己批判するどころか、状況に反発するように、原発維持の動きが顕在化してきた。「原子力を守る」政策会議がそれだ。ここには原発推進派の連中が名を連ねている。委員長は甘利明元経済産業相、委員長代理が細田博之元官房長官、副委員長として西村康稔衆院議員、参与として東電元副社長・東電顧問の加納時男元参院議員。この連中こそこれまでの原発推進にあたってさまざまな利権を振りかざし、今回の原発事故につながる重大な責任を負うべきひとたちであるが、ここへきてさすがに焦りと危機を感じてか正体を露わにしてきたのである。
 このなかの裏のボスとも呼ぶべき加納時男は五月五日の「朝日新聞」インタビューで党内原発反対派の河野太郎氏と並んで登場し、「低線量放射線は体にいい」とまでの暴言を吐いている。加納はそこで「原子力を選択したことは間違っていなかった」と強弁し、東電にたいして免責条項を適用すべきことを示唆している。あくまでも原発導入の自己責任を認めず、居直りを決め込んでいる。これにたいしてネット上で「加納はそこまで言うならみずから福島原発で被曝作業に参加してみろ」という声が上がっているのは当然であろう。人を死の危険に追いやっておきながらこういう居直り発言をできる神経を疑わざるをえない。日本経団連がこういう人間を自民党参院比例区に「財界候補」として支援したことも忘れてはならないだろう。
 一方、同じ「朝日新聞」インタビューで登場した河野太郎氏は自民党のなかで数少ない反原発派としてまっとうな意見を述べている。放射性廃棄物という「核のゴミ」を捨てる場所もないのに原発を増やそうとしたことを最大の疑問点として上げ、原発の安全神話がもともと原発推進派から構成される土木学会原子力土木委員会津波評価部会の安易で低水準な津波対策にもとづいたお手盛りのものでしかなかったために「想定外」の事態に対処できなかっただけだと言う。「安全神話」の中身は自民党、経済産業省、電力会社の一体化された原発推進体制と、東芝や日立といった原子炉メーカー、建設業界などの産業界、電力会社から多額の研究費をもらう御用学者、多額の広告費をもらうマスコミが共同して作り上げたものであることをはっきりと指摘している。東電の賠償責任にたいしては、賠償金を上乗せした電力料金を国民に負担させるなら、東電の存続を前提にしてはダメで、「逆立ちしても鼻血が出ないぐらいまで賠償金を払わせるべきだ」と結んでいる。まったく同感である。また自民党がすべきことはまず謝罪であり、原発推進派は選挙で落選させるぐらいの国民の目が必要だとも語っている。
 自民党のなかにこういう良心派が存在すること自体が救いだが、この河野氏にたいしてさきほどの加納時男は自民党からの追い出しを示唆している。河野氏のような意見が自民党の意見になったことはないとし、「反原発の政党で活躍すればいい」と言ってのける。つまりは自民党は原発推進の党であり、反対派は排除する党であることを認めたことになる。こういう原発ファシストがのこのこと「朝日新聞」のインタビューに応じ、こういった発言をしてはばからないところに国民を見くびる習性がそのまま残存していることをいみじくも露呈しているのだ。われわれはこうした原発推進派の魂胆をしっかりと把握しておかなければならないし、現状を認識することもできない悪質な人間をこれ以上のさばらせてはならない。
 また、インターネットなどでは反原発を主張する者を「極左」呼ばわりしているひともいる。原発推進派がこれまでは権力をほしいままにしてきたことを思うと、今後こういうひとたちがふたたび復権するようなことになると、反原発派への徹底した圧政が加えられることもありうるし、エネルギーと軍事力をテコにした対米従属はますます深まることになるだろう。日本が進むべき道が今回の原発事故を争点として問われはじめているのである。国をあげて原発エネルギーに代わる代替エネルギーの開発を急ぐべきなのである。
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[未来の窓172]

創立六〇周年へむけて──『ある軌跡』六〇周年版発行と[未来の窓]単行本化

 ことしの十一月になると、小社も創立六〇周年を迎える。人間で言えば還暦ということで、なんらかの総括と展望を迫られる時期になったとも言える。とはいえ、小社のような小規模の専門書出版社としては他社のように派手な祝賀会のようなものは似合わないに決まっているし、そんなつもりもない。
 そこで地味に(よく言えば堅実に)ささやかな企画を試みるとすれば、これまでも節目ごとに刊行してきた小社の社史『ある軌跡』の六〇周年版を刊行することと、わたしがここ十四年間にわたってPR誌「未来」で書きつづけてきた[未来の窓]というコラムに注釈等を付して単行本化することぐらいであろう、ということになった。
 社史『ある軌跡』は、一九六六年の創立一五周年に「未來社の15年・その歴史と課題」という座談会(出席者は丸山眞男・内田義彦・木下順二・野間宏の各氏と創業者・西谷能雄)をふくむ最初の版を刊行して以来、二〇周年版、二五周年版、三〇周年版、四〇周年版、と過去五回にわたって刊行されてきた。三〇周年版までは活版組みで、そのつどそれまでの分に新原稿を増補するかたちで発行してきたが、一九九二年刊行の四〇周年版では、活版での継続も無理になったので電算写植に移行した。そのさい旧版に属するものは前述した座談会と資料分だけとし、他はすべて新原稿にした結果、三〇周年版に比べてかなりスリムになった。
 四〇周年版では冒頭に西谷能雄が「四〇年の回顧」を書き、古くからの著者を主とする六三人の方に「未來社40周年へのアンケート」をお願いするとともに、当時の気鋭の学者・研究者一〇人にそれぞれの専攻する学問分野を展望する小論文をお願いした。後者の人選をふくむ編集はわたしが中心になって進めたので、かなりのウェイトでわたしとかかわりの強い著者が執筆してくれた。さいわいマスコミもふくめて評判がよく、一般読者でも希望者には頒価でお譲りするなどかなりの部数がさばけた。
 五〇周年版は予定しておきながら、さまざまな事情で刊行することができずに終わってしまった。東京国際ブックフェアへの初出展や書店での五〇周年フェアなどはおこなったが、当時の編集部の力量不足などもあり、見送らざるをえなかったことが残念だった。
 そんなこともあって、今回の六〇周年版はなんとしても実現したいと思っている。過去二〇年分の総括や略年表の整理、出版図書一覧の増補と整理などが今後の課題として残っており、新しい時代を前にして新たな展望を切り開くような諸論考やアンケートを関係の深い著者の方たちにお願いする予定である。
 この四〇周年版はなぜか創立四一年目の一九九二年刊行になっているが、その年の十一月にわたしが西谷能雄に代わって代表取締役に就任しているところからもみられるように、社内体制の変更にともなう準備の遅れその他があったのであろう。今回の六〇周年版はそういうことのないようにいまから準備しておきたい。
 今回はもうひとつ、わたしがPR誌「未来」一九九七年三月号以来、執筆をつづけてきたコラム[未来の窓]を単行本にまとめさせてもらうことにした。これは消費税の増税(3%から5%へ)にたいする批判をきっかけとして始めたものであるが、事情があって一度だけ抜けただけで今回をふくめて一七二回を数える。このコラムは、小専門書出版社の立場から出版業界をとりまくさまざまなトピックやわたしの関心事にたいして――業界的問題から営業、編集の問題、はては社会的問題にまで自分にとってもっとも肝要と思われる問題について意見や主張を述べてきた(つもりである)。書名は『出版再生――あらためて本の力を考える』とする予定である。
 出版社の人間は業界内部の発言はともかく、まがりなりにも公的なかたちで(つまり一般読者にも読まれるかたちで)論を発表することを望まないか、避けるひとが多い(ような気がする)。すくなくともわたしのようなかたちで出版について持続的に書いているひとはほとんどいない。わたしは出版社の人間がなにも公的な立場を背負ってものを考えたり書くことは必要ないと思っている人間であるから、自分の考えを曲げたり権威におもねったりしてまで書こうとは思わないので、誤解や批判を恐れない文章になることがある。未來社ごときでも公共的出版社だとされ、そうした立場にある人間らしく不偏不党の立場や公平な発言を求めるひとも出てくる。とくに近年の沖縄問題や原発問題にかんするわたしの発言にたいしてこのような意見を寄せてくるひとがしばしばでてきている。
 わたしは、出版社の規模にかかわりなく、出版社の自己責任とは自社出版物にあると考えている。どういう本を出しているのか、その本はどういう立場からどういう主張をしようとしているのかを見極めてもらうのが筋であろう。総合出版社ならともかく、未來社のような小規模の出版社は自分(たち)の意に反してまで出版活動をおこなう必要はないと考える。もちろん著者の考えとすみずみまで一致する必要はないので、そんなに幅を狭く考えてしまうべきだとは思っていないが、すくなくとも自分(たち)の許容範囲外のものにかかわろうとは思わない。それと同じように、「未来」での掲載文も編集部の自己責任において選択しているので、わたしから見て意味があるとは思えない論説や主張を「公平性」のためにバランスをとって掲載することはありえない。[未来の窓]でのわたし自身の論説も、見るひとによっては偏っていようが、自分が正しいと信じる主張を展開することこそが誠意のあることだと考える。
 そういう意味で、この十四年間のわたしの論説集は未來社の代表として語るべきものは語ってきたつもりなので、これも六〇周年の記録のひとつとして、読者の公正な批評にさらされるべくあわせて提出する次第である。
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[未来の窓173]

大震災と東京国際ブックフェア

 この七月七日~十日にかけておこなわれたことしの東京国際ブックフェア2011もなんとか終了した。最後の七月九日、十日の土曜日曜は梅雨明け直後の猛暑に襲われたせいか、人出が例年よりかなり少なく、この両日で売上げの七割以上を占めるわれわれ書物復権8社の会のブースとしては、残念ながらかなりの売上げ減を強いられることになった。小社としてもことしの目玉である沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉をもっとアピールするようなレイアウトやポップなどの対応が遅れたためにかなりの売り逃しをしてしまったように思う。手には取ってくれるのだが、最後のひと押しがないためだった。日曜になって気づいて対応した結果、かなり売れるようになったが、ちょっと遅かったのがかえすがえすも残念だった。
 そうした個々の対応はともかくとしても、いま終わったばかりの印象で言うと、ことしは東日本大震災の影響もあって、本のまとめ買いをするひとが大幅に減少したように感じる。これまでも毎年のように高額本を数十冊も手に持てるかぎり買ってくれる読者が現われなかった。
 もうひとつは、相対的に高額の本(たとえば五〇〇〇円以上の本)の売行きが著しく悪かったように思えることである。いままでであれば、五〇〇〇円の本を買えば、二割引で一〇〇〇円のおつりがくる(つまりもう一冊買える)ということが大きなインセンティヴになっていたと思われるが、ことしはどうもそういうインセンティヴだけでは読者の懐を解きほぐすことはできなくなったのではないか。
 ある読者に話しかけられたことでひとつ思い出せば、立派な本を出してくれていてありがたいけれども、お金も時間もないので目の保養にはなりましたとのことで、これは意外と意味深いように思う。読者はけっして本を見捨ててはいないし、評価すべきものは評価してくれていることがこのことでもわかる。にもかかわらず、ことしは本を買い控えているという印象を強くもたされた。おそらく東日本大震災とそれにつづく福島原発事故の影響だろうが、やはり生活必需品へとシフトする経済観念と先行き不安、じっくり本を読もうとするような精神のゆとりが奪われ日々の情報にふりまわされる恒常的な危機感によってますます深刻な本離れが加速しているのではないかと心配になる。思えば、この東京国際ブックフェアに本をもとめて集まってくれる読者ほど、今日の日本のなかでほとんど稀な読書人の姿であるとわたしなどは素朴に信じてきたのだが、今回のブックフェアではその神話が崩れはじめているような気がするのである。同時開催された電子書籍コーナーは相当な人数を集めたというが、はたしてそのようなひとたちがほんとうの読者なのか、これからも活字を読みつづけようとする読者なのかは、わたしにはまだ判断がつかない。
 読者にアナログ派とデジタル派がいるとすれば、われわれのような専門書・人文書系の出版社はどうしてもアナログ派に支持してもらわなければならない。もちろんアナログもデジタルも両立させているような読者がどんどん出てきていることは当然で、出版社のほうも流通上、コスト上、製作上などのさまざまな次元でデジタルコンテンツ製作にも目を向けなければならない時代がきている。たしかに出版物の種類によっては冊子本の形をとらなくても成立しうるもの、デジタルのほうが都合がいいものはわれわれの世界にもすでに存在している。問題はそういうコンテンツの見定め方、活かし方をもっと読者目線で検討していかなければならないのである。
 今回の大震災で一般にそれほど知らされていないこととして、書籍用紙の供給元である製紙工場が大きな損傷を受け、日本の書籍用紙の三割ほどのシェアが失なわれたという事実があげられる。それも年度末である三月の被災だったこと、また東京湾にちかい紙倉庫が液状化現象によって大ダメージを受けたこと、こういった事態によって必要な紙がなくなったり揃わなくなったことによって出版それ自体がおおきなダメージを受け、月刊誌などの刊行が遅れたりしたことがある。またオンライン書店のアマゾン・コムの市川倉庫が損壊し、通常の補充がおこなわれるまでに一か月から二か月に及ぶ補充停止がおこったことも専門書出版社にとってはかなり厳しい状況を生んだりもした。こうした直接間接の影響も出版社にとっては大きな痛手になっている。そうしたなかでの東京国際ブックフェアだったので、どういう結果になるか関心をもたざるをえなかったのであるが、悪い予感のほうが的中したと言わざるをえない。
 最後にもうひとつ、東京国際ブックフェア会場での読者の声を紹介したい。混雑する人文・社会科学書フェアのわれわれ書物復権8社の会の通路で若い女性の二人連れとすれちがったときのこと。ひとりがもうひとりに「こんなご時世だから、もっと明るい本を見せてくれないかな」と間近で言うのを聞いて、わたしが思わず「すみません」と返事してしまったところ、変に笑われてしまったのか、怪しいひとと思われたのかはともかく、こういう印象をもつひともいるんだなとあらためて認識することになった。たしかにわれわれのブースには原発問題や震災問題などにかんする本がかなり目についたから、とりわけそう思われたのかもしれない。彼女らはちょうど端のほうにある岩波書店側から歩いてきたので、雑誌「世界」の原発批判のバックナンバーや反原発・脱原発の本が過剰に目についたのかもしれない。こういう本の配列や見せ方などはたしかに「明るく」はないだろう。こうした女性の見方がけっして能天気なものではないとも言えるし、ひとつのしっかりした視点であるのは理解できるが、とはいえ、この時代、やはりわれわれ出版人はたとえ暗い話題になりがちであっても、時代の核心に迫る問題提起を出版を通じて世に訴えつづけなければいけないのではないだろうか。そんなことをつくづく考えさせられたブックフェアであった。
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[未来の窓174]

『宮本常一著作集』ショートラン重版化の試み

 小社ではこのたび既刊本の重版にかんして新しい試みを始めることにした。東日本大震災の影響で本の売れ行きがますます低迷しそうだという予想もあり、これにたいする対策でもあるが、じつはそれ以前から問題であった小部数重版の可能性が現実味を増してきたからで、もしこの方法がうまく機能すれば、中小専門書出版社にとってはひとつの朗報ともなりうる。いまのところまだ実験的段階だが、うまくいく可能性は高い。ここではとりあえずの報告を書いておこう。
 出版社にはその規模の大小、出版傾向やジャンルなどによって「重版」という概念もさまざまである。重版、正確には「増刷」の部数(ロット)もそれぞれまったく異なると言ってよい。ベストセラーなどはそれこそ万単位での増刷がおこなわれるだろうが、そういうものはごく稀である。通常は、とりわけ専門書などでは、一〇〇〇部~二〇〇〇部、少なくても五〇〇部からといったケースが普通である。高額書の場合には三〇〇部ぐらいのこともあるだろうが、それ以下では採算がとれないとされてきた。スケールメリットの原理は、新刊書の場合だけでなく増刷においても貫徹される。つまり部数が多ければ多いほど一部あたりのコストが低減する。製版・刷版といったコストも部数にかかわりなく同一だし、一定の部数までは印刷費も変わらない。逆に言えば、部数が少なくなればなるほど、こうしたコストが割高になり、さらに製本代なども一部あたりの単価が割増しにならざるをえない。こういう事情があって、かつてのロングセラーなどの評価の高い書籍が、年々品切れ状態に追い込まれていくようになってしまった。出版社は採算がとれなければ、少数の読者の要望があっても、この品切れ状態を脱却することができないのである。
 こうした専門書出版社のディレンマを克服する方法として、近年試みられてきたのが、ひとつは書物復権8社の会の〈書物復権〉運動であり、もうひとつはオンデマンド出版である。後者は苦肉の策として、いわば読者へのサービス、言い換えれば出版社の言い訳として機能してきたのであって、もうひとつ決定的な打開策になっているとは言えなかった。
 小社が今回試みようとしているのは、こうしたオンデマンド出版の上を行く、出版社にとって主体性を取り戻せるギリギリの可能性としての「ショートラン重版」すなわち小部数重版のことである。もちろん、この「ショートラン」というのはオンデマンド本におけるもうひとつの方式としてすでに現実化されていることをわたしも知らないわけではない。言ってみれば、オンデマンドとは文字通り「注文に応じた」一部ごとの増刷であるが、ショートランはそれを出版社が先取りして小部数増刷することを指す。ただ、これは実際には、オンデマンド重版の複数版にすぎない。一部ずつのオンデマンド本を作る工程を必要部数くりかえしていくにすぎないからである。したがってコストは部数に応じてほぼ比例して増加するのであって、オンデマンド重版の限界が三〇〇部あたりとされるのは、こうした方式のコストが通常重版のコストに追いつき、追い越してしまうのがこのあたりの部数であって、それ以上になるとオンデマンド方式の方が高くついてしまうという単純な算術的理由によるのである。
 小社が試みようとしているのはある意味ではこのショートラン方式であるが、同じ名前でもこれまでのショートラン重版がオンデマンド本と同じものであるのにたいし、こちらは通常重版のものに近いということである。何が違うかというと、これまでのショートランは用紙に限定があり、造本も並製しかできない、など元版を再現することが十分にできなかったうえに値段もこれまでの二倍から三倍になってしまうという問題があった。必要な読者にはそれでも我慢して購入してもらうという条件付きでの完全受注生産とも言うべきものにすぎなかった。もちろんそれでも一定の役割を果たすという意味では、十分に価値があることは言うまでもない。
 しかし小社が試みようとしているのは、元版と同じ品質のものを二割ほどの価格アップで抑えて再現しようとするものなのである。書籍用紙もこれまでと同じものを使うのでツカが変わることもないし、装幀や函などもそっくり再現できる。どうしてそういうことができるのかと言えば、これは取引先の萩原印刷が導入したキャノン製の新式オンデマンド機が、印刷仕上がりの質の向上はもちろん、A3ワイド判までの印刷稼働域の拡大など、さらには大幅なコストダウンを可能にしたことにより、品質を落とさずにすむようになり、これに萩原印刷の積極的な努力もくわわって小部数重版が実現できるようになったことによるのである。
 こうした小部数重版が可能になることによって、これまで年間の売行きは低いが一定の部数を見込める書籍にかんしては、この方式をあてはめることが現実味を帯びてきた。その意味で小社の場合、『宮本常一著作集』全五〇巻がそれにあたるので、とりあえず実行に移すことにしたのである。いちど重版するとどうしても十年前後の在庫をもたなければならないこの著作集は、単品で考えると通常重版が望めるような水準の売行きではないにもかかわらず、シリーズものゆえに切らすわけにはいかないという事情もあって、やむなく重版を重ねてきたのであるが、はたしてこれまでのようなやり方で採算がとれるかどうかはおおいに疑問をもたざるをえなくなっていた。それがショートラン方式を導入することによって、重版に必要な資金を劇的に圧縮することができるため、在庫管理の面ともあわせて、必要部数を適切にコントロールできることになったわけである。
 もしこの試みがうまくいくことになれば、これまでオンデマンド本に頼らなければならなかったものも通常書籍として復活が可能になる。専門書の多様性が回復できるチャンスとなるかもしれないと期待しているところである。
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[未来の窓175]

陽の目を見る写真集『日の丸を視る目』

 昨年から刊行の始まった沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉の第5巻、石川真生写真集『FENCES, OKINAWA』(二〇一〇年十二月刊)が「さがみはら写真賞2011」プロの部受賞がこのほど決定した。ことしで十二回目の比較的新しい賞だが、第一回の広河隆一氏をはじめ、長倉洋海氏や、昨年の石川直樹氏など、知名度のあるドキュメント系写真家が何人も受賞している。そのなかで女性写真家としては初めての受賞というのも話題のひとつだが、ちょうど先日沖縄に出かけたときに「琉球新報」「沖縄タイムス」に前後して真生さんの写真入りで大きく紹介されていた。〈琉球烈像〉シリーズとしては初回配本で第1巻の大城弘明写真集『地図にない村』が沖縄タイムス芸術選賞写真部門奨励賞を受賞したのにつづき、はやくも二つ目の受賞作品を生み出したことになる。このシリーズの刊行はまもなく刊行される予定の中平卓馬写真集『沖縄・奄美・吐噶喇1974-1978』のほか、伊志嶺隆、山田實の写真集二冊を余すのみとなっており、なんとか年内完結をめざしているところである。
 そうした過程のなかで真生さんの写真集『日の丸を視る目』刊行の話は昨年暮れあたりから出かかっていた。東京の小さな個展で、一部ではあるが、この〈日の丸〉シリーズの展示は大きなインパクトをわたしに与えてくれたので、これなら刊行したら話題性もあるいい写真集になるのではないかと即断した。とはいえ、すでに他社から刊行する話もあるようだし、こちらは〈琉球烈像〉で手一杯だったこともあって、話はまだ先のものと思っていた。ところが、三月になって、真生さんの気持ちが急速にこの〈日の丸〉シリーズをまとめたいという方向に傾いてきて、ちょうど東日本大震災をはさんで韓国、台湾に『日の丸を視る目』のための最後の撮影旅行に出かけることになり、刊行予定の確認の連絡が真生さんからきたのである。
 結果からみれば、『日の丸を視る目』はテーマがテーマだけに、そうおいそれと出版社が手を上げる種類のものではなかったと思う。真生さんの立場はもともと政治的なものではなく、ひたすら〈日の丸〉という事象にたいしてそれぞれの人間がどう反応するのか、個人的な興味というべき視点から撮影されている。とはいえ、その発想の原点が、沖縄という場所に生を享けてそこで育ち、米軍基地の問題や米兵の起こす諸問題に日常的に遭遇してきた懐疑的な精神をもたざるをえない人間の目でとらえたものである以上、政治的なバイアスがかからないほうがおかしいのである。
 たまたま一九八七年の沖縄海邦国体で会場の日の丸を引きずりおろして焼くという「事件」を起こした知花昌一さんと出会うなかから、「日の丸の旗を持たせて、その人自身を、日本人を、日本の国を表現させたらおもしろいんじゃないか」という真生さんのテーマが発見され、一九九三年から一九九九年にかけて一〇〇枚の写真が撮られる。そこではアイヌの人や被差別部落の人、在日朝鮮人といった対象が多く選ばれている。その後、二〇〇七年から写真集にまとめる意図をもって、日本国内だけでなく、「沖縄に最も近くて日本の植民地だった韓国、中国、台湾の人にもぜひ日本人を、日本の国をどう思うか表現してもらおう」という広がりをもつことになり、この間に八四枚の写真を撮影する。中国はさまざまな政治的配慮から実現できなかったが、こうして撮られたなかから一〇〇枚の写真をセレクトして出版するのが今回の『日の丸を視る目』なのである。
 今回この写真を通して見ていて、〈日の丸〉という事象がひとにより、世代により、国により、さまざまなヴァラエティをもって取り上げられていることにあらためて感心する。自分だったらどう対応したかな、などと考えさせられることもあるが、わたしなどそもそも日の丸を手にした記憶がない。それぞれの反応がほんとうによく考えられたうえでの自己表現になっていることがわかる。日の丸を衣装の一部にしてみたり、頭にかぶってみたりするのはもちろん、それを雑巾にして汚してみたり蹴飛ばしてみたり敷物にしてみたり、さまざまに過激なパフォーマンスが演じられている。これを「冒涜的」と見るひともいるだろう。一方では、日の丸を聖化する行動系右翼のひとたちもいれば、日の丸になんの抵抗もない普通のサラリーマン家族も撮られている。韓国や台湾のひとでも、若いひとたちは意外に日の丸や日本に同調しているひともいるが、もちろん大半は戦争の記憶をかかえていたりする世代もふくめてむき出しの敵意をもって対応しているのが印象的で、それぞれの表現がおもしろい。ときには血なまぐさいイメージを露出させるひともいて相当に強烈だ。日の丸の赤を血の赤と同化してとらえているひとが何人もいるのもひとつの特徴であろうか。
 今回の写真集では、写真だけではなく、巻末に比較的長めの写真説明とその英訳を付けているのももうひとつの特徴である。写真説明はすべて撮影した相手のことばをダイレクトに伝えるものであり、当人たちの表現意図をはっきりと伝えている。写真それ自体がもつイメージ喚起力をある面では減殺してでも、撮影の意図や背景、構図の説明やメッセージを強く伝えようとする意味では、これはかなり特異な写真集だと言えるかもしれない。たしかに写真によっては、それ自体が多様な解釈を可能にするものもあり、意味の不明なものもある。種明かしに見られてしまう危険も承知のうえで真生さんはこのメッセージ性とともにある写真のインパクトに賭けているのではなかろうか。
 こんな前代未聞の写真集はおそらく今後も出ないだろう。政治的にみればかぎりなくアナーキーだし、存在論的にも挑発的であることこのうえない。真生さんが言うように「私は日本人ではなく、沖縄人としてのプライドを持って、これからも生きていく」覚悟があって初めて可能な命がけのパフォーマンス写真集なのである。ならばわたしも命がけの連帯をおこなうことで、この停滞する世界にいくらかでも風穴を開けてみようかと思うのである。
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[未来の窓176]

あらためて本の力を考える ――『出版文化再生』刊行にあたって

 この秋に未來社六〇周年記念社史『ある軌跡』と同時出版することになったこの[未来の窓]連載の原稿読み直しと原稿への手入れがひとまず終わった。書名は最近の思いをこめて『出版文化再生――あらためて本の力を考える』とした。前回までの一七五回分を捨てるべきものは捨てたうえでテーマ別に配列しなおし、執筆時には明らかにできなかった諸事情や当時はその帰趨が見えなかった諸問題について、さらに一般読者にはわかりづらい業界用語や業界事情には可能なかぎり注を付けることにした。さらに別の場所に書いた文章も関連性のある四本だけは追加させてもらった。
[未来の窓]は短いコラムとはいえ、そのつど関心のあるテーマをひとつの話として書ききることをモットーとしたため、とりあえず一回ごとの完結性をもつようにつとめたが、どうしてもだぶってしまうテーマも少なからずある。その意味で若干の繰り返しはご容赦いただきたい。これらのコラムは原則的に状況論として書かれているので、同じような問題に見えても時間の推移とともにすこしずつ変化があるのは見ていただけると思う。そのため今回収録するにあたっては、執筆時の論点や気分を考慮して、不要な部分を削除したほかは基本的に語句の修正だけにとどめている。
 一回が四百字換算で六枚ちょっとから七枚のコラムではあるが、これだけの回数になるとどうしてもコンパクトな形にはなりえなかった。出版業界論的なものと出版文化論的なものの二分冊も考えなかったわけではないが、ただ、わたしとしてはこれらのテーマが一体化したものとしてわたしのなかに存在することを読み取ってもらいたいという思いがあって、少々分厚くなるのを承知で一冊とさせてもらった。
 わたしは出版人として、編集者であると同時に経営者であり、読み手であると同時に書き手でもあるという多重性を生きてきた。これはわたしが自分で選択したものではかならずしもないが、結果としてこの業界の末端でさまざまな役割を果たすことにもなり、そこから見えてくる問題にたいして自分なりの意見や感想を記してきた。一貫して専門書系小出版社という境遇にいるからこそ、出版業界や出版文化のさまざまな相が見えてきたのであって、こうした立場から出版にかかわる諸問題を自由に論じられたことはある意味で恵まれていたのかもしれない。業界ともいろいろ具体的な接点があることによって、それほど見当はずれなことは言っていないと思うし、出版全般にわたる領域についてしかも長期間にわたってここまで論を立ててきた出版人はほかにいないと思っている。
 今回、自分の書いてきたものを通読してみて、そのときどきの判断や考え方にほとんど訂正の必要を感じることがなかったのはひとつの新鮮な驚きであった。現在の電子書籍の騒ぎなどにたいするわたしの基本的な観点はすでに十年以上前に確立していたことは読んでいただければわかることで、わたしは早くからテキストデータの適切な電子処理とデータ保存の必要を主張しつづけてきたのである。これはわたしの一連の[出版のためのテキスト実践技法]論を読んでもらえばいい。
 ところで、今回この『出版文化再生――あらためて本の力を考える』をまとめるにあたって必要な注を付けることにしたとはじめに書いたが、もはやいまとなっては書いておいても差し支えないだろうことで、出版史あるいは出版の裏面史にとって記録されておいてしかるべきこともいくつか記しておくことにした。たとえば専門書取次の鈴木書店の末期に、わたしが頼まれてトーハンに鈴木書店の買収を交渉しにいった話や、オンデマンド出版を企図して日販が立ち上げたブッキング設立時のさまざまな思いなどについて、わたしが知っていることなどである。もしこの本がすくなくとも出版業界人の興味をひくところがあるとしたら、そうした事実を誰も知らないか、誰も記録することがないだろうからである。
 もっとも、わたしのコラム自体がそのつどかなり言いたい放題のことを言ってしまっているので、その時点での問題発言にも事欠かないかもしれない。わたしの場合は思ったことをはっきり言うか書かないといられないところがあって、出版界の友人たちはけっこうハラハラして見てくれていたらしいが、本人はいたって暢気なものである。[未来の窓]のなかでもけっこういろいろなひとを相手に反論したり、批判した文章を書いているが、こういう論争的なものはこの業界ではあまりお目にかからないたぐいだろう。そもそも日本ではそういった批判的な言辞やまともな論争を望まない風土がある。とくに社会批判や政治的発言を出版人がすることにナイーヴな対応が多いような気がする。だから「未来」の読者のなかにも数はわずかとはいえ反発が顕在化してくるのであって、そういうひとたちからすれば未來社のような「公的な」出版社、〈アカデミック・プレス〉の社主のくせに不偏不党性や公平性もなければ、左翼的で中立性もないとの批判(非難)が寄せられるのである。普通ならばこういう批判(非難)は避けたいと思って筆鋒が鈍る(自粛する)のが出版界の人間なのだろうが、どっこいわたしはそういう事なかれ主義や狡猾な言論封殺にたいするアレルギーがある人間なので、いっそう批判的なことを書きたくなる。その意味で[未来の窓]という場は初期から一貫してわたしが業界やよりひろく社会へ向けて自分の意見を述べるための窓だったのだということがいまにしてわかる。
 こうした意味ではこの場はわたしにとって必要な場でありつづけるのかもしれないが、今回この『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の刊行をもってひとつの区切りとし、足かけ十五年にわたって書いてきた[未来の窓]をいったん閉めることにした。必要があれば、あらためて別のかたちを考えてみたいと思っている。長いあいだお読みくださった読者の皆さまに感謝いたします。
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