偏執的編集論番外篇:東大闘争はいま、なぜ総括されるべきか

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(間奏曲)

F君 またまた「季刊 未来」用の次の原稿の時期がきましたね。今度はどんな手でくるんでしょうか。
偏執的編集者(以下、略して偏集者) すでに予告しておいたように、こんど来年の東大闘争安田講堂攻防戦五〇年を機に、この闘争の最終総括本を当時の有名な造反教官で知られていた折原浩先生が書き下ろした本を出すんだよ。とんでもなくおもしろい本になると思うよ。ところで君はまだ生まれていなかっただろうけど、この安田講堂攻防戦の話は聞いたこと、ある?
F君 ええ、話には聞いたことがあります。
偏集者 やっぱりその程度の話なんだよね。いまの若いひとはアメリカと戦争をやったことさえ学校で教わっていないから知らないひとが半分以上いるそうだから、東大闘争なんて縁がないと思っているんだろうね。だからいまの若いひとたちこそが、こんな時代悪を黙って甘受していないで、折原さんのようなひとの本を学んで、若者のエネルギーを立ち上げてほしいんだよね。
F君 ぜひ読んでみたいです。
偏集者 そうでなければいけないんだよ。この本の編集それ自体がこの連載の実体をなす「編集力」の成果でもあるんだから
F君 はあ。


[番外篇 東大闘争はいま、なぜ総括されるべきか]

 ことし二〇一八年もそろそろ暮れようとしている。そして来年一月十八日、十九日は東大闘争の象徴とも言える、本郷の安田講堂を占拠した全共闘学生と機動隊による攻防戦(というより権力側の一方的な弾圧・攻撃)の五〇周年を迎えようとしている。この〝安田砦〟をめぐる闘争は医学部闘争を発端とする東大闘争全体の事実上の終焉を告げるものであったが、当局による事態収拾の不手際と時間的逼迫からその年の入学試験がおこなわれず、新入生なし、という異例の事態に発展したものとして記憶しているひともまだまだ多いだろう。
 しかし、この東大闘争とはいったい何だったのか。当時の一連の大学闘争の流れ、そして世界的にみてもフランスやドイツでの学生運動にみられる世界的民主化闘争が、大学という知の牙城を舞台にして展開されたのには、先進国に共通する時代背景があったことは事実だろう。しかし、そのなかでも東大闘争は問題の大きさ、根の深さから言って、やはり特別な意味をもっているだろう。一部には特権学生による勝手な跳ね上がり、ととる向きもあったのはたしかだが、問題はそんなに簡単な問題ではなかったはずである。そしてこの安田講堂〝事件〟を境として大学闘争は急速に低迷し、はては過激派による内ゲバ殺人にまで及ぶ陰惨な事態に転落していく。その後の日本社会を見ていると、大学は社会へ出ていくためのたんなる〝就職予備校〟と化し、社会へ出てもひたすら出世コースに乗るため大学で学んだ技術を応用するだけで、ひとがよりよく生きるための思想や哲学を身につける実践の場ではなくなってしまった。人びとは分断され、大学は自治能力を失ない、見識も想像力もない強権政治家とそれに屈服した官僚や利権主義者がわがまま放題に権力を振り回せる国に成り下がってしまった。
 そんなときにこうした社会のなれの果てを見据え、さかのぼって東大闘争にかかわった当事者としてこの闘争の真の問題提起の意味をあらためて問い直し、それにかかわったひとたちの現在をも根底から問いただす、異色の書が年末に刊行される。折原浩『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』がそれである。この本の刊行に先立ってわたしが未來社ホームページその他で書いた案内文を以下に引用しておこう。
《世界的なヴェーバー学者でもある著者は一九六七年以降の東大闘争時代の造反教官としてもつとに著名であり、これまでもおりにふれて関連論著を発表されてきていますが、東大闘争の象徴的事件でもあった安田講堂攻防戦五〇周年を来年二〇一九年一月に迎えるにあたり、その後の社会のさまざまな問題がこの東大闘争で提起された諸問題が未解決のまま、あるいはいっそうの悪化をみる現状を憂慮されて、一気に書き下ろされた渾身の闘争総括書が本書である。ヴェーバー学者として東大闘争に立ち向かった著者が、大学内外のさまざまな矛盾や策動を綿密な資料調査と徹底した観察によって現場実践的に事実解明した驚くべき実態がついに明らかにされる。問題にかかわりのあるひとたちへの問題提起であるとともに鋭い挑発の書!》
 宣伝文として書いたものだけに粗いところがないわけではないが、とりあえず本書の成立をコンパクトに伝えると、こうなる。しかしこの本を編集する過程でさまざまな感慨や感想などが生じたことがきわめて多く、わたしの編集者魂がいちじるしく鼓舞されたことをここで書きとめておかないわけにはいかない、と思うようになった。いま連載中のこの《偏執的編集論》にも、技術処理上の諸問題を超えて、その根底にある本質的に思想的な問題を読者に提供する《偏集者》の義務として、番外篇のかたちで繰り入れる必要を感じたわけである。こんなことを書くと、さすがに折原さんからも笑われそうだが、編集者として踏み込めるかぎりの問題提起をしておきたいのである。
   *
 最初に個人的なことを言っておくと、わたし自身もこの東大闘争に自然にかかわらざるをえなかった人間のひとりである。高校を出たばかりの一九六八年入学でいきなり闘争の渦中に投げ込まれ、なにがなんだかわからないうちに二か月後には無期限ストライキに入るような異常な緊張の日々がつづいたなかにいたからである。安田講堂での入学式からしてすでにひと悶着あり、大河内総長の挨拶のあいだにも外の扉をドンドンと叩く医学部全学闘(全医学部闘争委員会)の学生や青医連(青年医師連合)のひとたちの抗議が構内に響き渡り、いったいどうなっているのかという空気がいつしか騒然としたものになった。《大河内一男総長から全学部の全教員に「入学式を、医学部学生の妨害から防衛せよ」という指令が飛びました。直前の卒業式が、大荒れに荒れて流れたあとの非常召集でした。》<S1>(一五二頁)</S1>と本書にもあるように、わたしは気がつかなかったが、東大の全教員が安田講堂に結集していたわけである。折原さんは中にいたということなので、もしかしたら近いところに立っていらしたのかもしれない。その後、正式にお会いしたのは、後述するように、羽入辰郎書批判のさいだから、ずいぶん間があいていることになる。それとは別に学生時代に校正アルバイトとして折原さんの最初の著書『危機における人間と学問――マージナル・マンの理論とウェーバー像の変貌』<S1>(一九六九年、未來社)の仕事を(おそらく志願して)やらせてもらっている。それ以来、折原さんの〈マージナル・マン〉という概念は頭に焼き付いている。なんてかっこいいことばだろう、と若者らしく考えたにちがいない。どう理解したかは覚えていないが、危機の場所としての境界というものがあり、そこに立つ人間はつねにクリティカル(危機的かつ批評的)な人間たらざるをえないのだ、という基本認識がそのときに生まれたような気がする。なにはともあれ、そういう私的な(一方的だが)出会いからすでにちょうど五〇年でもあるわけだ。駒場の一年生としては造反教官として有名な先生といってもあまりに距離がありすぎ、いまとちがって(?)まだそれほど戦闘的ではなかったから、折原さんのことは日常的にはよく知らなかった。こうして折原さん曰く「終活本」を編集させてもらえることになるとは不思議な縁である。
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 つぎに本書の成立について触れておこう。すでに早くから話には(佐々木力さんからも)聞いていたから、折原さんが東大闘争についての本を書くということはすでに知っていた。折原さんが熊本一規・三宅弘・清水靖久との共著『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(緑風出版)を出版し、寄贈してもらったときに、わたしは「未来」二〇一三年十一月号の「[出版文化再生7]いまもつづく〈東大闘争〉――折原浩さんの最新総括から」でこの本について一筆書いている。《身のまわりすべてを「社会学する」姿勢が、ウェーバー学者としての「マージナル・マン(境界人)」折原さんを決定的に造反教官に仕立てていくライトモチーフになっていった。......わたしのような中途半端な学生の情報把握ではとうてい及びのつかない葛藤や事態の進展がこの時代にあったことをいまさらながらに知ることができて、折原さんの活動の一貫性と粘着性には驚かざるをえない。ずっと後年になって親しくつきあわせていただくことになる折原さんの柔らかい物腰と語り口のなかにもおのずから透けて見える情念の激しさと一徹さは、すでにこの時代から抜き差しならないほど強く折原さんの思想と行動にビルトインされていたのである。》などとわたしは書いている。(この文章に関心のある方は→http://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/2013/10/73.htmlを見ていただきたい。)このあと、折原さんからこの書評を受けて本格的な東大闘争総括本を書く気になったとうれしい話を聞かせてもらった記憶がある。それが本書のきっかけになったとすれば、わたしもまんざらでもない気持ちになる。
 そんなわけでこの十月はじめに折原さんから連絡があって、この本の原稿が完成間近であること、来年の安田講堂攻防戦の前にこの本の刊行にこぎ着けたいという話になった。普通では間に合いっこないところが、どっこい、わたしの[テキスト実践技法]をもってすれば実現可能、と折原さんは踏んでいるのだった。そんなわけで最終原稿が十月十七日に届いて、そこから突貫工事でちょうど一か月後の十一月十七日の日曜日にドライブがてら茨城県取手市のご自宅まで仮ゲラを届けにうかがうことになった。いろいろファイル処理上の問題が多く、こちらが進めた部分をふくむ全文ファイルをメールでお送りして、ファイルのチェックと再修正を進めてもらう、というわたしとしても前例のないファイルの交換(むかし野球少年だった折原さんを喜ばせるような譬えで「キャッチボール」)をしながら相当な修正をさせてもらったことになる。くわしくは触れないが、折原さんの原稿はクセのある文章なので、介入するにはわたしのような強引さと確信が必要なのである。ともかく、ひと段落もなにもあったものではなく、それから四日後の二十一日には仮ゲラの赤字校正がもどり、翌日には赤字を直したうえで印刷所に入校、二十六日には初校出校と、とんとん拍子で進んだところで、こんどは索引問題で大変なことになっているのがいま現在である。なにしろ通常の索引ではなく、人名はむろん、事項索引も問題提起一覧をふくむ凝った索引ができることになっている。わたしのほうは一太郎というワープロソフトの索引作成機能を使った基本データを提供するだけしかできなかったので、残りは万事、折原さん任せという現状である。項目から削除したはずのわたしの名前まで挙げられているのは折原さんのサービス精神なのかと苦笑しているところである。
 さて、もうひとつ大きな問題は、書名に〈総括〉ということばを入れた件で、これにはわたしにも責任があり、実際、書名確定までには紆余曲折があった。もとはと言えば、「季刊 未来」秋号の後記の予告でわたしが東大闘争の「最終総括」本として言及したからで、折原さんも最初に気に入ってくれたのだが、途中でやはりこのことばは連合赤軍の仲間殺しのための符牒として使われたことから陰惨なイメージがこびりついているからやめたい、ということになって、わたしが東大闘争をメインとしたタイトルにしたいと再提案したことから、急遽、逆にこのことばの本来の意味でむしろ挑発的な意味もこめて採用したいということになった。メインタイトルが『東大闘争総括』となり、その内実を支える三つの主要モチーフとして「戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践」を取り付けるということになった。それも〈最終総括〉とはせず、これを読んだ元同僚、元闘争仲間にそれぞれの立場・位置からの〈総括〉がおのずから出てくることを期待するという、折原さん流のひそかな企みがあるのである。師のヴェーバーにならってキャッチコピーつくりのうまい折原さんは、わたしとの電話のなかで、自分のような論争を回避しない精神がさらに書名でもその後の言動でもダメ押しをするようなことをすると過剰な〈アクティヴ・チャレンジ〉になってしまうので、自分としては〈パッシヴ・チャレンジ〉の路線でいきたい、ということになり、そうした本の編集をした君こそが編集者の立場から〈アクティヴ・チャレンジ〉をすることは別にかまわない、おおいにやってくれ、と慫慂する高等戦術をとられる始末である。それに乗せられてこういう文章を書いているわけだが、まあ、この本のおもしろいのなんのって、東大闘争のいろいろ核心にあたる部分のたんなる事実確認だけでなく、調査と批判が実証的、徹底的であってミステリーふう読み物にもなっているところが多い。あまりにおもしろいので、ここではもったいなくてあまり紹介してあげられないが、それには以前、夫人からうかがったように、父親が検事だったこともあってそのあたりの論証の徹底ぶりは、批判される側からは脅威だったはずである。文学部処分をめぐる築島助教授と文スト実(文学部ストライキ実行委員会)の仲野君処分をめぐる、どちらが先に手を出したかをめぐる問題については《双方の恒常的(ないし類型的)習癖にかんする一般経験則も援用して、「築島―仲野行為連関」の明証的かつ経験的に妥当な説明》(二一八頁)の結果として《築島先手【―仲野後手という因果連関の「明証性」と(方法論上は明証性とは区別される)「経験的妥当性」とが、ともに論証されたことになります》(二一七頁)といった具合である。この学問的論述ふうの厳密さと事件の単純性がみごとにミスマッチするところなど、思わず笑いを呼び起こさざるをえない。
   *
 本書は自伝的な要素もあって、簡単ではあるが幼少期からの自分についても書いているところがあり、ヴェーバー学との出会い、安保闘争以後、東大闘争にいたる闘争前史も語られていて、その一貫性を読み取ることができる。それはいかなる事態に遭遇しても、合理的に納得できないことはとことん批判していくという精神が〈マージナル・マン〉の精神に依拠して、反復されるからである。このことが理由で、これまでもそうであっただろうように、折原さん自身にたいしても、そして本書にたいしても毀誉褒貶がはなはだしくなされるだろうことをわたしは予感する。しかし、この本を終活本として提案され指名されたことはわたしにとって名誉なことである。
 わたしが折原さんと(おそらく)親しくさせてもらったきっかけは先にも書いたように、羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(二〇〇二年、ミネルヴァ書房)というヴェーバーにたいする悪質な誹謗中傷本にたいする折原さんの怒りに端を発している。この本への批判書『ヴェーバー学のすすめ』をはじめたてつづけに四冊の関連書をだすことになったいきさつも「未来」のコラム[未来の窓]で書いている。「[未来の窓81]危機のなかの〈学問のすすめ〉──折原浩『ヴェーバー学のすすめ』の問いかけ」(http://www.miraisha.co.jp/mirai/mado/backnb/mado2003.html#81)、「[未来の窓102]折原ヴェーバー論争本の完結」(http://www.miraisha.co.jp/mirai/mado/backnb/mado2005.html#102)がそれである。この論争をめぐっては羽入書の出版社のS社長とのやりとりも苦々しく思い返される。ある会で同席したときに、この社長は「出版人が出版物についてとやかく意見を言うべきでない、学者にまかせておけばいい」とわたしの言論にたいしてイチャモンをつけてきたあげく、「訴えてやる」とまで脅したことがあった。もっともわたしには脅しにもなんにもなっていないし、現に訴えることもできなかったようだが、こうしたエセ学術書を出している出版社の社長らしい無見識ではわたしの相手になれるはずもなかったのである。出版人が自社の出版物にたいして無責任になってはおしまいである。
 ともかくまだまだ書くべきことはあるが、長くなりすぎたようなので、ここで終りにしたい。ともかく、東大闘争が本来的にもっていた日本近代の矛盾構造への巨大な問いと批判は一見思われているような表面的表層的なものではなくて、今日においてもますます根深く構造化された社会的、人間関係的な意味での歪みを早くから洞察したものであった。折原さんのこの東大闘争総括書は、そうした日本近代が孕みつづけている根本問題をあらためて摘出するもので、未解決のまま放擲されているこれらの問題を再提起することは、渦中にあったひとたちのそれぞれの総括への促しであると同時に、これからの若いひとたちがみずからの問題として真摯に検討すべき問題群となっているのである。これが本書の挑発性の由縁であり、広く読まれるべき必然性を示している。

(間奏曲)

偏集者 というわけで、えらく長い記述になってしまった。ここで元にもどろうと思うんだが、前回の編集タグの件では、チンプンカンプンというひとが何人も出てしまって、困っているんだ。なにも著者にこんな技術的なことまで理解してもらおうなんて思っていなかったんだけど、編集者までそんなことじゃ何をか言わんや、ということになる。
F君 そこを理解しようとしないと、ここから先は一歩も進めないことになりますね。
偏集者 そうなんだよ。なんでも楽して編集ができると思ったらいけないんだがね。まあ、むかしからそういう編集者で非効率でもかまわない、というひとはいるからね。
F君 とにかく先をつづけてください。

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未来の窓 1997-2011

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