この五月に「[新版]日本の民話」シリーズ全七九巻が完結した。一昨年四月から巻数順に毎月三冊ずつの刊行ペースを維持してきたわけで、わたしも実質二年半にわたって二万ページ超のゲラを読みつづけてきたことになる。民話という内容の性格上それほど専門的知識を必要とせず、読みやすさもあってなんとかクリアしたが、それでも日々一定のページ数をこなすというノルマは日常的にプレッシャーとなっていたことは事実である。それに見合う発見もいろいろあって楽しかったから、それなりに民話通になったこともたしかだろう。
編集者とは因果なもので、なにかつねに仕事に追われていないと気がすまないものらしい。昨年、民話の刊行もメドがついてきたころ、別件で哲学者の加藤尚武さんの家へお邪魔したときに、以前からお願いできないものかと考えていた著作集刊行の話を持ち出したところ、加藤さんからも色よい返事がもらえた。わたしは加藤さんの歯切れのいい明快な文章が好きで、ヘーゲルなどもあまりよく読んでいないのにわかったような気にさせてもらえるところがあって、これを機会にあらためて勉強させてもらおうという編集者特権を活かした企画でもあった。
小社ではすでに加藤さんの第一論文集『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』(一九八〇年、山崎賞受賞)、『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』(一九九二年、和辻哲郎文化賞受賞)、『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』(二〇一二年)といったヘーゲル関係書のほか、生命倫理学関連の日本におけるパイオニア的告知書『バイオエシックスとは何か』(一九八六年)、『二十一世紀のエチカ』(一九九三年)などを刊行させてもらってきている。このうち『哲学の使命』『哲学原理の転換』はわたしが企画・編集したものである。
偶然だが、加藤さんはしばらく文京区小石川の小社のすぐ裏のマンションに住んでいらしたこともあって、よくコピーを取りに来社されたり、道でばったりお会いすることもあった。山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学から鳥取環境大学初代学長などの経歴のほか、日本ヘーゲル学会会長、元日本哲学会会長といった要職をかねて指導的立場をこなされてこられたうえにいまも現役バリバリの著作活動をつづけておられるにもかかわらず、まったく気さくで驕らない人となりは、わたしのようなヘーゲル門外漢でも近づきやすいところがあって、けっこう言いたい放題や無理を言わせてもらいつつ、あいまをぬってなんとか著作集のプランを練り、データや本を受け取りながらようやく著作集の全容が固まりつつある。
加藤さんの膨大な著作、論文の整理がなかなか進まないのは、コンピュータの発展によって原稿が手書きからパソコン入力に変わっていったことが理由のひとつにあげられる。パソコン以前の本とそれ以後の本ではデータの有無と再現可能性が問題になる。出版の技術革新もめざましく、活版印刷からオフセット印刷に変わるなかで著者の元データが本のデータとしてかなりの程度まで再現可能になったことによって、著者がもっている初期データを利用することができるようになったというわけである。当然ながら、この初期データが本として完成する段階までで校正その他によって改変されているので、あくまでも慎重な処理が必要だが、いずれにせよ、著作集に収録ということになればあらためて原稿の再チェックが必要になるわけだから、この時点で内容を再構成するつもりで進めるしかない。単行本や雑誌の出版社の都合で最初の原稿が大幅に削減されたことなどもあるとのことなので、今回これを復元することもありうるし、出版当時の書誌情報が古くなっている場合は最新情報を取り込む作業も必要になる。全面的に書き換えることは不可能だが、最大限の編集努力をするのは読者にたいする義務であろう。
そういうなかで、いまはとにかく収録の確定している原稿を著作集仕様予定のページで通読を進めながらストック作りをしているところである。今回も一日のノルマを一〇ページと想定してファイル処理や編集タグ付けもかねて通読をこつこつと続けている。こういうときにはわたしが作った編集用マクロ(一括検索・置換処理プログラム)が物を言うのであって、テキストのファイル一括処理ができないと効率も精度も圧倒的に悪くなる。というより、この専門度の高い内容で、想定しているA5版四〇〇ページ超、全一五巻を隔月刊、つまり二年半で六〇〇〇ページ超の著作集を完結できることなどひとりの編集者の仕事としてはありえない。久しぶりにこのマクロ処理をしながらまだまだバグのあるプログラムを修正して精度を上げる追加処理も加えるなど、半分はわが趣味であるテクスト処理プログラムの改訂も同時におこなっている。もちろん、加藤さんの文章のクセや内容上の特性にあわせた専用の「加藤尚武マクロ」も作ってこちらの精度も上げるようにしているところ。繰り返すが、加藤尚武さんの文章は読んでいてわかりやすいし、歯切れもよく、読んでいるとこちらのアタマが良くなっていくことを感じさせてくれる感度のいいものなので、なんとか早く実現したいし、読者と喜びを共有したいというのがいま心底思っていることである。
さいわいこの七月にはわれわれの共同復刊事業をおこなっている書物復権の会が新企画説明会を開いて取次関係者、主要書店のひとたちに集まってもらい、それぞれの社から新しい企画を直接アピールする会が予定されている。昨年から準備をしてきてまだ全容を発表できるところまできていないこの加藤尚武著作集を、企画説明会でおおいに宣伝するための整理にラストスパートをかけているところである。そしてできればことしの秋ぐらいから刊行開始といきたいと望んでいる。
編集者とは因果なもので、なにかつねに仕事に追われていないと気がすまないものらしい。昨年、民話の刊行もメドがついてきたころ、別件で哲学者の加藤尚武さんの家へお邪魔したときに、以前からお願いできないものかと考えていた著作集刊行の話を持ち出したところ、加藤さんからも色よい返事がもらえた。わたしは加藤さんの歯切れのいい明快な文章が好きで、ヘーゲルなどもあまりよく読んでいないのにわかったような気にさせてもらえるところがあって、これを機会にあらためて勉強させてもらおうという編集者特権を活かした企画でもあった。
小社ではすでに加藤さんの第一論文集『ヘーゲル哲学の形成と原理――理念的なものと経験的なものの交差』(一九八〇年、山崎賞受賞)、『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』(一九九二年、和辻哲郎文化賞受賞)、『哲学原理の転換――白紙論から自然的アプリオリ論へ』(二〇一二年)といったヘーゲル関係書のほか、生命倫理学関連の日本におけるパイオニア的告知書『バイオエシックスとは何か』(一九八六年)、『二十一世紀のエチカ』(一九九三年)などを刊行させてもらってきている。このうち『哲学の使命』『哲学原理の転換』はわたしが企画・編集したものである。
偶然だが、加藤さんはしばらく文京区小石川の小社のすぐ裏のマンションに住んでいらしたこともあって、よくコピーを取りに来社されたり、道でばったりお会いすることもあった。山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学から鳥取環境大学初代学長などの経歴のほか、日本ヘーゲル学会会長、元日本哲学会会長といった要職をかねて指導的立場をこなされてこられたうえにいまも現役バリバリの著作活動をつづけておられるにもかかわらず、まったく気さくで驕らない人となりは、わたしのようなヘーゲル門外漢でも近づきやすいところがあって、けっこう言いたい放題や無理を言わせてもらいつつ、あいまをぬってなんとか著作集のプランを練り、データや本を受け取りながらようやく著作集の全容が固まりつつある。
加藤さんの膨大な著作、論文の整理がなかなか進まないのは、コンピュータの発展によって原稿が手書きからパソコン入力に変わっていったことが理由のひとつにあげられる。パソコン以前の本とそれ以後の本ではデータの有無と再現可能性が問題になる。出版の技術革新もめざましく、活版印刷からオフセット印刷に変わるなかで著者の元データが本のデータとしてかなりの程度まで再現可能になったことによって、著者がもっている初期データを利用することができるようになったというわけである。当然ながら、この初期データが本として完成する段階までで校正その他によって改変されているので、あくまでも慎重な処理が必要だが、いずれにせよ、著作集に収録ということになればあらためて原稿の再チェックが必要になるわけだから、この時点で内容を再構成するつもりで進めるしかない。単行本や雑誌の出版社の都合で最初の原稿が大幅に削減されたことなどもあるとのことなので、今回これを復元することもありうるし、出版当時の書誌情報が古くなっている場合は最新情報を取り込む作業も必要になる。全面的に書き換えることは不可能だが、最大限の編集努力をするのは読者にたいする義務であろう。
そういうなかで、いまはとにかく収録の確定している原稿を著作集仕様予定のページで通読を進めながらストック作りをしているところである。今回も一日のノルマを一〇ページと想定してファイル処理や編集タグ付けもかねて通読をこつこつと続けている。こういうときにはわたしが作った編集用マクロ(一括検索・置換処理プログラム)が物を言うのであって、テキストのファイル一括処理ができないと効率も精度も圧倒的に悪くなる。というより、この専門度の高い内容で、想定しているA5版四〇〇ページ超、全一五巻を隔月刊、つまり二年半で六〇〇〇ページ超の著作集を完結できることなどひとりの編集者の仕事としてはありえない。久しぶりにこのマクロ処理をしながらまだまだバグのあるプログラムを修正して精度を上げる追加処理も加えるなど、半分はわが趣味であるテクスト処理プログラムの改訂も同時におこなっている。もちろん、加藤さんの文章のクセや内容上の特性にあわせた専用の「加藤尚武マクロ」も作ってこちらの精度も上げるようにしているところ。繰り返すが、加藤尚武さんの文章は読んでいてわかりやすいし、歯切れもよく、読んでいるとこちらのアタマが良くなっていくことを感じさせてくれる感度のいいものなので、なんとか早く実現したいし、読者と喜びを共有したいというのがいま心底思っていることである。
さいわいこの七月にはわれわれの共同復刊事業をおこなっている書物復権の会が新企画説明会を開いて取次関係者、主要書店のひとたちに集まってもらい、それぞれの社から新しい企画を直接アピールする会が予定されている。昨年から準備をしてきてまだ全容を発表できるところまできていないこの加藤尚武著作集を、企画説明会でおおいに宣伝するための整理にラストスパートをかけているところである。そしてできればことしの秋ぐらいから刊行開始といきたいと望んでいる。