先日(6月4日)、岩波ホールでのジャン・ユンカーマン監督映画『沖縄 うりずんの雨』を見に行った。6月20日からの上映にあたっての最終回の試写会ということもあって、満席だった。事前の評判もいいことを聞いていたので、なんとしても見ておかなければならない作品だったが、なかなか時間がとれずようやく最終回になって見ることができたのである。監督のユンカーマンさんとはおととしの知念ウシ出版記念会で初めてお会いしたが、今回は上映後の挨拶に登場されたあとに簡単な挨拶ができた。
このドキュメンタリー映画は四部仕立てで(第1部=沖縄戦、第2部=占領、第3部=凌辱、第4部=明日へ)、沖縄戦などの古い記録写真を生かしながら、新しい映像と語りを入れた重層的なフィルム構成になっている。沖縄戦後70年という節目の年をまえに3年の歳月をかけて製作されたという。いぜんとして沖縄の植民地状況をよく知らない、あるいは知ろうとしない多くの日本人、さらには辺野古への強引な基地移設を推し進めようとして現地の反対を無視しつづける安倍強権政権へむけての、沖縄の歴史と現状を視覚的にも強く訴える作品となった。また、大田昌秀元沖縄県知事、元海兵隊員で政治学者のダグラス・ラミスさん、写真家石川真生さん(とその写真集『FENCES, OKINAWA』)などよく知っているひとや、知花昌一さんのような不屈の運動家のインタビューも断続的にはさみこまれていて、その肉声によっても沖縄の歴史と現状がよりわかりやすく伝わってくる。ちなみにタイトルに出てくる「うりずん」とはパンフレットによれば「潤い始め(うるおいぞめ)が語源とされ、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉」とされ、「この時期になると戦争の記憶が蘇り、体調を崩す人たちがいる」ということで「沖縄を語る視点のひとつ」として映画のタイトルに使われたそうである。
第二次世界大戦中、日本で唯一戦場となった沖縄には守備隊10万にたいして米軍は55万の大戦力で攻撃してきた。地形も変わったと言われたほどの海からの艦砲射撃、空からの爆撃につづいて1945年4月1日に読谷村に海兵隊が上陸し、12週間にわたる激しい地上戦のすえ占領された。戦闘に巻き込まれた住民も4人にひとりという死者を出し、日本軍の強い抵抗もあって米軍も多大な死者を出している。
「第1部 沖縄戦」は主として米国立公文書館所蔵の米軍記録映像(写真家ユージン・スミスのものをふくんでいる)をもとにしているが、2004年8月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件や現在の普天間飛行場の金網に基地反対の抗議文や布切れを貼り付ける住民の抗議行動も(あわせてそれを撤去する雇われ日本人の恥ずべき振舞いと発言も)記録されている。当時の元米兵の証言も以後、随処におりまぜて収録されており、悲惨な沖縄地上戦の米軍に与えた恐怖とトラウマも明らかにされている。またガマ(洞窟)に避難させられた住民たちの生き残りの証言も全篇にわたってちりばめられており、当時の日本および日本軍に刷り込まれた米軍への恐怖によっていつでも天皇のために死ぬことを最優先で考えさせられてきた実情が語られている。住民がむしろ日本軍によってスパイ視され残虐に殺されたりした話には事欠かないが、こうした体験が沖縄人の心底に戦争への忌避、平和への強い願いをいまも生んでいる背景がおのずと浮き上がってくる。
「第2部 占領」では、沖縄戦のすべての死者名(米兵のそれもふくむ)の刻みこまれた「平和の礎(いしじ)」の写真、「コザ暴動」と呼ばれた沖縄人の怒りの爆発とその記録の数々が映像化されている。「第3部 凌辱」では、チビチリガマでの集団自決が生き残りの女性の証言や知花昌一の解説によってその悲惨さが明らかにされ、また12歳の少女強姦事件を起こした3人の米兵のひとりがそのときの状況といまの心境をインタビューで答えているのも、その悲痛な表情とともに印象に残る。
こうした反戦平和へのあくなきメッセージを発するこの映画のインパクトはたいへん強いものがある。ユンカーマン監督はパンフレットの「監督の言葉」の最後でこう書いている。
《米軍基地を撤廃するための闘いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。》
この誠心誠意にあふれたアメリカ映画人のことばをわれわれは深くみずからに問い直さなければならない。沖縄県民の総意で圧倒的な勝利で実現したいまの翁長雄志県知事の度重なる要請にもかかわらず辺野古基地建設の野望を実現しようとする日米政府の植民地主義者的野望を打ち砕くのはわれわれ日本人でなければならない。安倍晋三首相をはじめ、そのたんなるおうむにすぎない官房長官や防衛大臣らの無能な発言と厚顔無恥な表情を見ていると、こうした本来ならば現実政治を担う見識も能力もない「お友達内閣」などをいまだにのさばらせているわれわれ有権者の卑屈と無責任ぶりをあらためて認識せざるをえない。そればかりかこのまま放置すれば、平気で「わが軍」(安倍の本音発言、自衛隊を指す)の海外進出、さらには米軍のお先棒をかついだ海外侵略、はては安倍と同類の領土拡張論者=習近平体制のいまの中国との最終戦争さえ予断を許さないいまの状況にたいして、あまりに鈍感な日本人をいつまで演じるつもりなのか、日本と日本人の危機を感じざるをえない。
この『沖縄 うりずんの雨』をひとりでも多くの日本人が見て、なにかを考える機会にしてもらいたいと切に思うしだいである。(2015/6/6)