「みすず」の今福龍太ヘンリー・ソロー論連載をおもしろく読んでいるが、4月号の「書かれない書物」も身につまされるところがあり、興味深い指摘があった。
ソローの生前刊行された2冊のうちの1冊『コンコード川とメリマック川の1週間』という本は予定の販売期間終了後に製作費用の全額弁済を条件として1000部刊行されたが、ほとんど売れず4年後に706部の在庫をソローは引き取ることになった。そのことを通じて本を出すだけでは見えてこなかった「幸福の断片」をソローは見出す。この奇妙な幸福感とは、今福によれば、「彼自身の私的な自由にたいして物質世界が干渉しないことの幸福感である。商品世界から疎外されることで、彼は彼自身の精神が世俗的な何ものにも束縛されていない、より自由なものであると真に感じられるのだった」というものである。わたしなども売れない本を出しているからよくわかるが、どうもこの解釈はやけっぱちにも聞こえる。これはソローだからこそしゃれになる話であって、世の中にゴマンとある売れない本の書き手がそんな幸福感を味わっているとはとうてい思えない。
ソローの時代もいまも売れない本はやっぱり1000部程度しか作らない(作れない)というのは残念だが、ほんとうである。この1000部が1500部だろうと2000部だろうと、本なんか読まない金勘定屋なんかになると、どっちにしたところ「誰が買うんですか?」といった程度の差異でしかない。1億3000万だか4000万だかの日本人のうち1000人とか2000人程度の購買者などかぎりなくゼロに見えてしまうのだろう。まあ理想も使命感ももったことのない人間には1000部や2000部の意味を講釈しても馬の耳に念仏だろう。これじゃ馬もかわいそうか。
ともかく強がりでもいい、こういうひとたちに理解されない「買われないことの自由」を満喫し、そこからもうすこし「買われる自由」に転換したいものである。わたしの『出版とは闘争である』はそういう本のつもりである。(2015/4/22)
*この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを転載したものです。