2015年アーカイブ

II-15 編集者というメチエ

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 思いがけないことがいろいろあって、あらためて編集というメチエについて考えている。この「メチエ」ということばは、たまたまホルヘ・センプルンの『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』(小林康夫、大池惣太郎訳)という翻訳を刊行したばかりだからかもしれないが、この本の原題は「Me+'tier d'homme」で、つまり人間のメチエ(仕事、職業、職能といった意味をもつ)とは何かということを二十世紀前半の知識人や作家三人の仕事の検討をつうじて問い直す本に触発されたからである。戦争やナチズム、全体主義といった暗い影の支配した時代のヨーロッパを〈人間〉の本来的なありかたを追求し生き抜いたそれぞれの生のありようを論じた本で、ヒトはいかに生きるべきかを考えるうえで非常に強い刺戟を与えられる。たまたま編集者、出版人として人生の相当な時間を過ごしてきてしまった人間として、いまさらのように過去を振り返りつつ、編集者ときには書き手としての自分のメチエを考えておくのも悪くないと思った次第である。
 そもそもはたして自分は編集者としての資質があるのだろうか、という根源的な反省をしてみる。というより、そんなものはもともとなかったのではないかと思う。家業を引き継いでしまうまえから文学や哲学を好んで読んだり書くまねごとをしていたから、活字の世界が自分のすぐ目の前で開けていくことに当初は驚きはしたものの、どうしてもこれでなければならない、という思いがあったわけではない。いろいろやりたいことがあったせいかもしれないが、よく知っている編集者には根っからの編集者というしかない優秀なひとたちがときたまいる。そういうひとを見ていると、自分はなんといい加減なことをやっているのかと思わざるをえないことはしばしばある。
 そんなわたしだが、これまでなんとかこの道を歩むことができたのは、なにも天職に目覚めたわけでもなにか大きな発見があったわけでもない。わたしのような不向きな人間でも必要に迫られれば、それなりに努力もし我慢もしてきた結果、どうやらこのままこの世界にいつづけるメドが立ってきたようにも思えてくる。必要と思える本(誰に? 誰が?)を作り、必要なひとに手渡していく。本を書きたいひとがいて、読みたいひとがいるかぎり、書物の世界はつづいていくだろう。ただそれがいまや従来のようには採算の合いにくい業種、業態になってきただけのことだ。わたしのように後天的にしか編集や出版にかかわることのできないできた人間には、べつにひとよりよく売れる企画を思いつく才覚もなければ、よりうまく売る方途を見出せるわけでもない。言ってみれば、バカみたいに売りにくい本を作り、それでもなんとかやりくりする芸だけは磨いてここまできたのだが、そうした道程を振り返ればなにがしかの痕跡とも轍とも言えないこともない経歴の厚みだけは増して、なんだかあちこちに人間関係のネットワークばかりがこんぐらがって、そのなかには友情とも腐れ縁とも言えるかもしれないさまざまな綾がついてきただけである。
 こういうなかで編集というメチエはやはりいまの時代、かなりおもしろいものなのかもしれないと思うようになってきたのだから、わたしも相当におめでたいのだろう。編集者の端くれとしてこれまでも行き当たりばったり、思いついたり思いつかれたりして著者とは同床異夢かもしれない真理探究をしてきたわけである。内外ともに数多くの編集者や編集志望者を見てきたが、どうやら編集者というメチエは、わたしのようなのらくら者を別にすると、どうも先天的にあるいは素質的に編集に向いたひとでないと成功しにくいのかもしれない。どういうことかと言えば、どんなささいな情報に接しても企画のアイデアが閃くとか、書き手に何を書いてもらえばいい本が生まれるか想像が自由に動くひとじゃないと、天性の編集者とは言えないのじゃないか、ということである。著者が書きたいテーマやまとめたい論文集を作るなんていうのは、別に創造的な仕事ではなく、せいぜいのところお産婆役をつとめるにすぎない。圧倒的に多数の編集者はこういう水準かそれ以下にとどまっている。そもそも自分が編集にかかわった本が話題になったり売れたりすることに人一倍関心をもてないようなひとは編集者むきじゃないと思う。そうでないと、他人が作った本がどうして話題を呼び、売れるのかがいつまでも見えてこないからだ。なにかに気づく、ということが編集者たる者のなによりもの才能なのではなかろうか。
 いまの時代、販売実績もデジタル化されてしまって取次でも書店でも上がってくる数字ばかりを見ているのでは、ほんとうに必要な売れ線の発見はおぼつかないだろう。自社出版物の売れ方だって、同じことだ。わたしなどは、若いころは取次が毎日持ってくる注文伝票の束をためつすがめつめくって、いったい何がどこで誰に買われているのかを目を凝らして見たものだった。そういう注文伝票の束との出会いだってりっぱなマーケットリサーチになっていたのである。流通倉庫が別のところにあるようないまの編集者にはそういう出会いの場面がないから、そういった手触り感をもたずに本を作っているだけになる。だから自分がかかわった本にさえいまひとつ愛着がわかないのではないだろうか。デジタル化されたデータにさえ関心をもっていない編集者の話をある大手学術出版社の幹部からも聞いたことがあるが、ひとごとではない。もっともそういう関心をもて、ということ自体が矛盾しているのであって、そういう営業感覚のない編集者に売上げに関心をもつように言ったり、いろいろな企画に気づくように言うことは、当人にとっては無理な要求なのである。
 まあ、こんな与太話をしてもしょうがない。わたしなんかは非才のゆえに体力と時間で仕事量をこなしているだけで、外から見ると(自分から見ても)働きづめの日々を送るしかない。業界の親しい友人にわたしはなんと「24時間編集者」と名づけられてしまったことがある(持谷寿夫「交遊抄」、「日本経済新聞」2011年10月5日号)。まったく冗談ではないでしょう。そりゃ無理だし、事実としてもありえないことだけど、編集者というか出版人というか、文字を読んだり書いたりするのが好きなことだけは間違いないので、これをあえて甘受して、編集者のメチエならぬ、出版の虫としての存在をおおいに自己主張しておこう。(2015/12/7)

 きょう(9月12日)の新聞報道によれば、安倍強権政府は、9日まで一か月休戦していた沖縄県名護市辺野古での基地移設作業をついに再開した。これにたいして翁長県知事は週明けにも辺野古の埋立て承認取消しに向けた手続きを開始することになった。予想された全面対決の事態だが、安倍晋三という戦後最悪最低の首相は、沖縄県民の基地移設反対の圧倒的な民意を踏みにじり、日本国憲法によって保障された「表現・思想の自由」としての基地ゲート前での抗議行動にたいしてもいっそう凶悪な牙をむいてくるのではないかと懸念される。もしそんな事態になれば、県民は断固として反撃するだろうし、安倍によって内乱=内戦状態が引き起こされることになろう。いまの安倍がやろうとしているのは、そういった憲法無視の独裁による戦争国家化の先取りされた国内実践予行演習版にほかならない。
 すでに本ブログの「II-12 いまや内乱状態の憲法危機――仲宗根勇『聞け!オキナワの声』の緊急出版の意義」で述べたように、この安倍政権の「憲法クーデター」による悪質な憲法改悪の狙いは、まず安保法制なる戦争国家法案化を突破口とすることであり、その端的な具体的実現の第一歩である辺野古基地移設強行工事再開がセットになっている。アメリカ政府への手みやげとして空威張りしてきた安保法制の立法化は、安倍自身にとってもみずからの政権護持の試金石となるから、なにがなんでも法制化の強行採決と辺野古の工事強行再開にはその政治生命がかかっているのである。本来なら東条英機とともにA級戦犯として絞首刑になるべきだった岸信介の孫として日本の政治になどかかわる資格のない超右翼が、この国を内乱=内戦状態に陥れようとしているのである。
 こうしたタイミングで元熱血裁判官の仲宗根勇氏の新刊『聞け!オキナワの声――闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』がこの14日に刊行される。辺野古の基地ゲート前での憲法論にもとづく安倍政権批判演説32本と戦争法案にかんする講演3本を起こして緊急出版されるこの本は、専門家として安倍自民党の憲法改悪の本質を鋭く暴き、現場の警察機動隊や海上保安官による憲法違反の暴力行為を現行の警察法や海上保安庁法にもとづいて断罪する法的正当性をもち、一方で現場で抗議するひとびとの闘争に強力な理論的根拠と勇気を与えているという意味で、まさにいまもっとも必要かつ影響力の大きい、待ちに待たれた本なのである。
 この本の刊行自体がひとつの社会的事件であると考えるのは、そうした本の力が社会的政治的意味でただちにひとびとの辺野古基地移設反対のための理論闘争の役に立ち、人びとの実践的行動を鼓舞する力になるからである。
 ところが、こうした本にたいしてここにきわめて奇々怪々な対応が現われた。これも「もうひとつの沖縄差別」であり、その裏にはなにかしら権力のキナくさい圧力を感じさせるだけに、放っておけない問題である。この件についてはすでに断片的に公表し、そのことによって引き起こされたその後の問題について、ここではその経緯を明らかにし、中間総括をしておかなければならない。
『聞け!オキナワの声』は既述したように、七月から八月にかけて音源からの原稿起こしにはじまる突貫作業によってなんとか九月刊行のメドがたち、本の概要(ページ数、予価など)が見えてきたところで8月25日にようやく書店用新刊案内の原稿を作成し、いそぎ新刊案内を作って各書店および各取次にFAXで告知した。刊行が迫っており、なるべく早めの注文をお願いしたのはそういう事情があった。とくに沖縄の書店・取次には期待するものがあったのは当然である。そういうなかで、8月27日に、以前から親しくしているうえに販売協力に積極的なジュンク堂那覇店にはわたしみずから店長に電話をかけ、刊行の予定と内容を知らせたところ、店長は本の意義と売れ行き判断から即座に120部の注文をしてくれた。時間の問題もあるのでこの分はお店に直送することにした。沖縄には通常は船便で配送されるので、ヤマトの書店とくらべて一週間以上の遅れが出ることをこれまでの経験から知っていたからである。事態の急迫にあわせて作った本を一刻も早く沖縄に届けたいという一心から特別サービスとして直送するという判断なのである。
 その注文に力を得て、これもこれまで親しくしている担当者のいるトーハン沖縄営業所に電話をかけたところ、その担当者が不在だったために代わりに電話に出たひとにこの本の意義とジュンク堂那覇店での初回配本部数を知らせ、もし営業所で部数を集められたら、ジュンク堂那覇店の分とあわせてこちらから直送する便宜を伝えておいた。沖縄ではトーハンのシェアが一番大きいし、同じトーハンの書店同士で売行きの見込める新刊入荷に差が生ずるのは不公平になると判断したからでもあった。
 ところが、翌28日の午前中にトーハン沖縄営業所長から未來社営業部長あてにメールが入り、この本は「一般的でない」ので販売協力はできない、今回は書店への販促は見送らせてくれ、という文面があり、わたしは自分の目を疑った。緊迫状況にあるいまの沖縄、辺野古情勢においてこれほどタイムリーで、ひとびとが読みたいと思ってくれるはずの本を、簡単な内容紹介を見ただけで一営業所長レベルの人間が「一般的でない」と判断し、なおかつメールとはいえ、証拠を残すかたちで、取次のひとつの業務である「販売協力」をはっきりと拒否してくるというのは、異例中の異例である。たしかに未來社は注文制(買切制)であり、特別な「販売協力」をお願いしたわけではないし、たいして期待もしていない。だから協力というのは書店から自主的に上がってくる注文部数を刊行日までにとりまとめ、こちらに連絡することぐらいでしかないのである。それをどう勘違いしたのか、一方的に「一般的でない」から協力しないとわざわざ言ってきたのである。
 わたしがただちにトーハン沖縄営業所の旧知の担当者に連絡をし、真意を確かめようとしていたところ、状況を察知したらしい柴田篤弘長が電話を代わって出てきたので、それならということで、どういうわけでこれほどの本が「一般的でない」という判断をしたのかその根拠を質したところ、「わたしが一般的でないと判断したからだ」と言い張るのみで(そのことをくりかえし3回も言った)いっこうに答えにならない。どういうことかとさらに聞いたら、「自分のところはジュンク堂ばかりとつきあっているのではなくて、一般の書店も多くあり、そういう店で一般のひとが読めるようなものではない」とまったく無意味なことを言いつのるばかりである。一般的でない本とは、一般のひとが読めないような本を言うことはあたりまえだから、トートロジーでしかない。こんな認識のひとが営業所長でいいのだろうか。確認のため、この本の拡販にはいっさい協力しないということですね、と聞いたところ、しません、とはっきり答える始末。いくら言ってもラチがあかないので、こういうことはわたしは言説の人間として公表してもいいかと確認したところ、平然と「どうぞ」と言うので、とりあえずツイッター、フェイスブック、ブログ等でこの異常事態をオープンにしたのである。
 このいずれかを読んだひとが知り合いの著者を通じてどういうことかと問合せをしてきたところから問題が大きくなった。事実を知った「沖縄タイムス」と「琉球新報」があいついで取材してくることになり、この営業所長にも取材が入った。新報はトーハン本社(広報課)にまで取材しているが、本社ではすでに状況は把握しており、上層部で大問題になっているということだった。あとで仕入担当者から聞いた話では、この件は「社長預かり事案」になっているという。トーハンの社員がわたしのブログを見て役員に報告したらしいことと、どうもこの営業所長も報告しているらしい。ただし、この所長は自分に不都合なことはいっさい報告していないようだ。トーハンの仕入担当者から沖縄営業所ではするべき仕事はちゃんとやっているので、そのことをわたしに伝えてくれと未來社営業部長を通じて言ってきたが、トーハン側からは当事者のわたしにたいしてなにひとつ問合せもせず、身内の沖縄営業所長の報告だけを信じこんでいるようである。
 そうした非協力的な事実の一例を挙げよう。それまでなぜかトーハン系の書店から(わたしが注文を直接もらったジュンク堂那覇店以外は)まったく注文が入ってこないのが不思議だったのが、9月4日になってようやく最初のFAX注文が入った。そのFAXの日付を見ると、トーハン沖縄営業所から送られた受注用FAXの時間がなんと9月2日の20時33分。じつはその日は沖縄タイムスの記者が夕方に所長に取材に行った日である。わたしが電話を入れて抗議してから5日後で、その間、所長は「販売協力」を拒否していたことになる。取材を受けて、事の重大さにようやく気がついた所長がその晩になって(所員が退社したあと)本社への言い訳のためにあわてて書店へのFAXを送ったことは明らかである。あとで当人に確認したところ、そのことは自分はやっていないし、指示もしていない、誰がやったかもわからないと明言していたが、事がこんなに大きくなってからほかの所員が所長への断わりなしでこんなことができるはずがないのは火を見るより明らかなことである。「一般的でない」などとは言っていないと取材にも答えたりしているらしく、しかも西谷に「恫喝」されたとまで言っているそうだ。
 わたしが問題だと確信しているのは、よほどのことがないかぎり、一営業所長が断言するには、あまりに大胆すぎること、不遜すぎることであり、その裏にはこうした発言を促す圧力があったからではないか、ということである。こうした一営業所長レベルの人間の「失言」にしては、この一件がふつうでは考えられない本社の「社長預かり事案」になっており、「琉球新報」の取材にたいして見解を公式発表することなっていたにもかかわらず、それがいまだなされていないことも疑問である。以前にトーハンをふくむ取次各社が鹿砦社のある原発批判本にたいして委託配本拒否という問題を引き起こしており、その理由として個人情報が本に記載されていたからという些細な理由をあげているが、今回は安倍晋三そのものを憲法論の立場から徹底的に批判している本だけに、そういう圧力がどこかから(言うまでもなく安倍政権から)かかっていたとしてもなんら不思議はない。いまの安倍政権ならメディア介入の一環として出版の自由の蹂躙ぐらいならいくらでもやりかねない疑いをもつからである。
 わたしはなにもひとりの地方営業所長の妄言をやり玉にあげるためにこんなことを書いているのではない。こういう本の出現をよく思わない権力に迎合した人間が取次のなかにいるのではないか、と危惧しているだけである。長年の取引先であるトーハンがまさかそんなことはしていないと思うが、もし原発批判本にたいする委託配本拒否と同じようなことがこの本にもなされようとしたのだとしたら、これは独占禁止法上の「優越的地位の濫用」にほかならないからである。
 さらに気になるのは、9月7日になって本社からの指示ということで柴田所長がわたしに電話をかけてきたのだが、自分の発言にも問題があったかもしれないがこちらの誤解もある、と言ってきたので、わたしは「あなたの『一般的でない』発言がまったく問題にならない理由にもとづいていることにたいして正しく理解している」ことをはっきり伝え、もしお詫びをしたいというならしかるべく納得できるような文書を提出することを求めたところ、上司に相談する、との返事であった。その後また連絡があり、その結果、「文書を出す必要はない」と言われたとのこと、その発言はトーハンの公式発言として考えていいのかと質したところ「そうだ」との返事。この件が「社長預かり事案」になっている以上、この判断は社長判断ということになる。所長にお詫び電話をさせることで、事をなし崩しに終わらせようとしたと解釈するしかない。
 未來社の社長ごときならこれぐらいでたくさんだとでも思っているのだろうか。いずれ責任者のきちんとした考えを聞く必要があるだろう。(2015/9/12-13)

 この四月から「[新版]日本の民話」シリーズを毎月十五日に三巻ずつ定期配本している。すでに第一巻の瀬川拓男・松谷みよ子編『信濃の民話』を皮切りに第一五巻『飛騨の民話』(江馬三枝子編)まで、元版(一九五七~八〇年)の巻数順に刊行してきた。
[新版]シリーズでは、これまでのサイズをハンディにし、活字も読みやすく、価格も求めやすくした。旧版で好評だった挿絵もすべて再現したので、このシリーズの民俗的香りはそっくり保存されている。
 ある程度以上の年配の方ならご記憶にあろうかと思われるが、一九七五年にはじまったTBSテレビ放映のアニメ「まんが日本昔ばなし」が市原悦子さんと常田富士男さんの名語りで毎週ゴールデンアワーに放映され、空前の「民話」ブームを巻き起こしたことがある。その原案として活用されたのが旧版「日本の民話」であった。
 誰でも知っている桃太郎や浦島太郎の伝説などが日本各地に少しずつ形を変えて語りつがれていることがわかるのもこのシリーズの特長である。劇作家木下順二が民話劇に取り組み、その代表作『夕鶴』は各地に伝わる「鶴女房」伝説から生まれている。
 戦後すぐに復活した生活綴り方運動などとともに、松谷みよ子を中心とする「日本民話の会」を母胎とした民話発掘の文化運動は広く各地の民話を採集、編集、記録してきた。これらの成果はこの「日本の民話」シリーズに結集された。このシリーズは民衆文化を対象とする民俗学などによっても高く評価されてきた。
 いま日本の政治は安倍晋三というウルトラ右翼ファシスト政治家によって、空前の危機状態にさらされている。すでに教育現場は、長年にわたる自民党の教育政策によって荒廃させられ、文字を満足に読めず、本を読まない世代がどんどん生まれてきている。大学では国策に沿わない文科系学問などはどんどん切り捨てられ、ゆがんだ歴史教育によって間違った歴史認識が押しつけられている。
 この[新版]シリーズの再刊は、こうした政治や教育の荒廃に抗して、日本人のこころのふるさととも言うべき民話の豊かな民衆的伝承の世界を再構築し、これからの日本を背負っていく若いひとたちを中心にぜひ読んで語りついでいってもらいたい、という願いをこめている。
 本を読むことはおのずから自分が生きることの意味を考え、世の中の矛盾や問題にたいして批判的に対処する精神を涵養するものである。本を読むことのすばらしい経験をきっかけに、今後も読書する習慣を身につけ豊かな人間になってほしい。それが本シリーズ再刊の最大の希望なのである。(2015/9/6~9/12)

*この文章は「しんぶん赤旗」からの依頼によって書かれたものである。

 安倍政権の集団的自衛権を認める閣議決定から始まり、戦争法案である安保法制制定のもくろみはそれ自体、現日本国憲法に照らしてあきらかな憲法違反であり、日本をアメリカに追随する戦争国家に仕立てようとする陰謀であることは、いまや国民のあいだでもはっきりと認識され、反対運動も激化してきている。小選挙区制による一票の価値の不平等と野党乱立の隙間をぬって選挙権者の二割にも満たない投票数で多数派を占めているにすぎない国会を我が物顔で自分の思い通りになると錯覚している安倍晋三を中心とする極右勢力の一派は、いまや世界各国の警戒や軽蔑をも知らぬ存ぜぬの鉄面皮で政治悪のかぎりを尽くしている。
 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設を沖縄県民の民意をまったく無視して暴力的に強行しようとするのもその強権政治の現われである。というより、そこにこそ集中的に現われる軍国主義、植民地主義の横暴はいまの憲法改悪=軍国主義化路線の本質そのものである。その辺野古の新基地予定地の現場でいまいったい何が起きているのか、本土のマスコミはほとんど報道しないか歪めて報道している。そこで日常的に体を張っているひとたちの動きはあまり知られていない。その辺野古の現場に立ち、元熱血裁判官という立場から憲法論を軸に安倍一派の「憲法クーデター」のからくりを暴き、その強権的基地建設を実力阻止にむけてひとびとを鼓舞し、理論的にリードする役割を背負っているのが仲宗根勇氏である。その仲宗根氏の辺野古基地ゲート前での憲法論的アジ演説と憲法講演を集めた新刊『聞け!オキナワの声――闘争現場に立つ元裁判官が辺野古新基地と憲法クーデターを斬る』がいよいよ刊行される。
 仲宗根氏によれば、安倍晋三一派は、憲法遵守義務を怠るどころか憲法改悪にむけて国会審議もろくにおこなわず強行採決などの無法行為によって、実質的に国会を乗っ取り、大日本帝国憲法よりなお悪質な反動的憲法を実現しようとする点において国事犯である。現憲法では、九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されている。その義務を守らないばかりか、自分たちに都合のいい憲法改悪をもくろむという点において首相みずからによる憲法にたいするクーデターであり、すなわち日本はいま事実上の内乱状態に近い。辺野古で安倍一派が実現しようとしているのは、まさしくそうした権力乱用による内乱行為である。仲宗根氏によれば、刑法七十七条で「日本国憲法の基本秩序を破壊する意図をもって暴動をやった場合には内乱罪として死刑または無期禁錮にする」となっているそうである。もし辺野古で沖縄県民の民意に反して基地建設強行をしようとすれば、憲法で保障された「表現・思想の自由」を暴圧しようとする行為となり、これは安倍一派にこそ内乱罪の適用がなされるべきである。事態はいまやここまできてしまったのである。安倍晋三はすくなくとも戦後最悪の首相であり、そもそも知識や教養のうえでも首相の器でないことはかのアドルフ・ヒトラーと双璧をなす人物にすぎない。
 安倍晋三のやろうとしていることは、およそ民主主義国の総理大臣としてのレヴェルではない狂気の沙汰である。わたしがかつて書いたように、安倍には元A級戦犯の祖父岸信介の亡霊の恨みを晴らし野望を遂げようという長州藩的好戦主義、覇権主義の思いこみがこびりついており、やることなすこと妄想からきているものにすぎない。
 仲宗根勇氏のこの新著は、昨年刊行した前著『沖縄差別と闘う――悠久の自立を求めて』のあと、憲法論の視点から安倍一派の憲法改悪の妄想を批判的に検証する本を依頼していたものの、現場闘争もあってなかなか実現できそうもなかったところ、たまたま辺野古ゲート前でのアジ演説が録音されていることがわかり、それを所望するなかから実現したものである。ここには現場ならではの圧倒的なライブ感覚があるだけでなく、そのつど憲法論的な視点からの講義を意図してなされたものであったから、多少のダブリはあるものの、そのときどきの緊急課題に対応する戦略的・戦術的な抵抗方法の開示や理論的現状分析があり、まことに臨場感のある内容なのであった。すぐにこれを起こし、あわせて憲法にかんする依頼講演三本とともに超緊急出版にこぎつけたしだいである。
 安倍政権が何を企んでいるのか、翁長県知事に一か月休戦を申し出て、その間になんとか集中協議と称して県知事を抱き込もうと画策しているが、前知事仲井眞を籠絡したようにはいかないのは計算違いなのか、たんなる浅知恵のなせるわざなのか。そしてこの九月九日にこの「休戦」が終了したあかつきには、どんな企みがあるのか。もし休戦明けに問答無用の基地建設工事強行の策に出るとしたら、それこそまさに「内乱=内戦状態」となろう。そんなこともやりかねないのがいまの安倍強権政治なのである。これは憲法危機そのものであり、国民全部を敵にまわした「第二の戊辰戦争」となる。
 安倍晋三ごときに日本がいまや崩壊寸前に追い込まれている。このことに危機感をもたない人間は第二次世界大戦前の無知無能の、なすがままに支配された日本人の再来にすぎない。
 本書が刊行されるのは九月十四日。それまでに安倍の狂気の沙汰が及ばないことを祈るしかない。なお、仲宗根勇氏の熱烈なアジ演説の一部は、本に付けたQRコードの読み取りからも、未來社ホームページの本書のページ(http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624301217)からも聞くことができるようにした。すでにホームページからは聞くことができるようになっているので、アクセスしてその圧倒的な現場からの声に耳を傾けてみてほしい。

 高橋哲哉さんからは沖縄米軍基地論の刊行予定を以前から聞いていたが、このほど集英社新書の一冊として刊行された『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』が送られてきた。すでに相当な話題書になっていることはアマゾンのランキングやいくつかの評価の分かれるカスタマーレビューを見ていてもわかる。もちろんさっそくにもこの本を読ませてもらったが、すでに刊行されていた岡野八代さんとの対談『憲法のポリティカ――哲学者と政治学者の対話』(白澤社)もあわせて読ませてもらったので、いちど整理しておきたいと思っていたところ、ウェブで高橋さんを中心に大阪府民が結成した市民団体「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」主催の「辺野古で良いのか――もう一つの解決策」講演会のニュースを見つけた。七月十二日に大阪市で開かれたもので高橋さんは講演で「日米安保条約をただちに廃棄できないなら、その間は本土に在沖基地を引き取るべきだ」と本と同じ主張を展開したということだ。
 七月十五日にはすでに報道されているとおり、衆院平和安全法制特別委員会での与党だけによる安全保障関連法案の強行採決がおこなわれた。安倍晋三という超右翼ナショナリストによる戦争国家化への野望が「切れ目のない」反動化政策によって日本はアメリカに追随するだけの、世界からの孤立化への道を邁進している。祖父のA級戦犯、岸信介の野望をここへきて実現しようとする長州藩的DNAの覇権主義がとどまるところを知らない。ヒトラー顔負けの野望に充ちたこの下劣漢は、それに同調するしか能のない取り巻き連中を従えて、なんでも自分の思い通りにできると勘違いしている。民主主義など眼中にないこの男からすれば、沖縄米軍基地などハナから撤廃する気などないし、なにがなんでも辺野古への移設を強行しようとしている。理屈の通らない妄想家を政治の表舞台に押し上げている盲目のどうしようもない日本人たちがはたして今回の暴挙を暴挙として認識することができるかどうか、はなはだ疑わしい。かつて岸を辞任に追い込んだように、なんとかこの妄想家を引きずりおろすしか、これからの日本を救う手立てはないだろう。
 と、少々脱線したが、高橋哲哉はヤマトゥンチュとして初めて正式に沖縄米軍基地のヤマト受け入れの必要性を明示した。
《「本土」の八割という圧倒的多数の国民が日米安保条約を支持し、今後も維持したいと望んでいる。日本に米軍基地は必要だと考えている。そうだとすれば、米軍基地を置くことに伴う負担やリスクは、「本土」の国民が引き受けるのが当然ではなかろうか。》(『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』八九ページ)
《沖縄にある米軍基地は、本来、「本土」の責任において引き受けるべきものなのに、「本土」はその責任を果たしていない。県外移設要求は、その責任を果たすことを求めているのである。》(同、九〇ページ)
「本土」人=ヤマトゥンチュを敵にまわす覚悟の勇気ある発言だと思う。なぜなら知念ウシや野村浩也などが主張しているように、「本土」人=ヤマトゥンチュこそ「無意識の植民地主義」の体現者であり、沖縄の基地問題にたいしては知っていてもシランフーナー(知らんふり)をして問題を回避する人間たちだからだ。知念ウシ『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、二〇一三年)にもくわしく書かれているように、どんなに沖縄好き、沖縄への「連帯」をうたうひとたちでも、ひとたび基地を「本土」=ヤマトに引き取れという話をすると、とたんに凍りついてしまうのである。あたかも自分の家の隣にでも米軍基地が引っ越してくるかのように、だ。高橋哲哉が言うように、《県外移設に関する限り、右も左も護憲派も改憲派もなく、沖縄を除く「オールジャパン」で固まっているようにしか見えないのだ。》(同前、四六ページ)これはもちろんいまの沖縄が「オール沖縄」でまとまっていることとの対比で言われている。
 この本にはみずから編集にかかわった本や論争の引用が多く、なかなか言及しにくいのだが、知念ウシさんと石田雄さんとの往復書簡はわたしが仕掛けた「論争」であり、一般的にヤマトの知識人のなかには、あれじゃ石田さんがかわいそうだ、という意見もある。たしかにヤマトの視点からみれば、人情論としてはありうるが、基地問題にかんする沖縄人の生活権の問題の側から考えると、やはり石田さんの分が悪いのは否めない。石田さんは平和主義者としての自身の論点を超えていかないのに比して、日々を生きる人間としての権利という視点からの知念ウシの正攻法は一貫しているからである。
 これともうひとつ気になる論争で高橋哲哉が論及しているものに、琉球大学教授新城郁夫の沖縄米軍基地県外移設論批判があり、わたしもあらためて「現代思想」二〇一四年十一月号の新城「『掟の門前』に座り込む人々――非暴力抵抗における『沖縄』という回路」を読んでみた。これまでにも同趣旨の批判を繰り返しているらしいが、――ウチナーンチュの内部論争にはヤマトゥンチュとしては軽々しく参加はしたくないが、――新城の論は「県外移設論」をあるべき基地闘争にたいする「人種主義的境界化を導入する流れ」だとして野村浩也や知念ウシを激しく攻撃している。高橋も言うとおり、野村や知念が言う「ウチナーンチュ(沖縄人)対ヤマトゥンチュ(日本人あるいは日本「本土」人)」という分割線は、新城の言うような単純な人種主義的分断ではなく、政治的権力的立場選択としての〈ポジショナリティ〉の対立線であり、それは人種とはちがって思想の問題として選択し直すことができるものとしてとらえられなければならない。たとえば新城はこんなふうに書いている。
《スローガン化した感のある「日本人は基地を引き取れ」「基地平等負担」等の主張が実現してしまうのは米軍基地への制度批判の抹消であり、そこでは、民族的枠組みを装う軸において国内的に配分され切り分け可能な実体的面積という形象化において、米軍基地が錯視されている。》
《日本人対沖縄人という対立は、いまや政治的暴力の根本を不問とする憎悪を生み出しているが、この憎悪によって抹消されるものこそ日本という制度への批判であり、国家暴力の源泉たる人種主義への批判である。》
 一見して明らかなように、ここには論理の飛躍がはなはだしい。〈ポジショナリティ〉という政治対立はあっても、それがすぐに人種的あるいは民族的な対立を生むわけではないし、ましてや基地問題や日本の政治制度の問題を「錯視」させるものではない。むしろその反対ではないか。そうした問題の根底を問い直す視点としても現実に基地の県外移設を実現させるべく、無知を決め込むヤマトゥンチュに問題を突きつけ、意識変革を迫ることこそが、抽象的闘争論を描くより必要なことではなかろうか。
 新城の論にはほかにも矛盾がいろいろあり、たとえば沖縄反基地闘争の現場リーダーでもある山城博治を高く評価するしかたと県外移設主張者たちを否定する論法とのあいだには断絶があってはならないはずである。ちなみに山城は昨年、未來社から刊行された川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』に「沖縄・再び戦場の島にさせないために――沖縄基地問題の現状とこれからの闘い」という、昨年暮れの県知事選挙における「オール沖縄」的共闘をも提唱する予見的な文章を書いているが、そのなかで県外移設論について《「米軍基地は沖縄にも要らなければ全国のどこにも要らない」、それゆえに「県外移設の要求はおかしい」という「もっともな主張」が踏み誤っているのは、政府の統治の論理に絡められている点だ。》(二〇一ページ)とはっきり書いているのである。深追いするつもりはないが、新城の論は現代思想的なタームをつらねて論点を補強してみせているが、ほとんど内容がない、反基地闘争に無用な分割線を入れるだけの批判のための批判でしかないという印象である。
 沖縄を長期にわたってアメリカに譲り渡そうとした戦後直後の「天皇メッセージ」と称される、沖縄の日本からの隔離、便利な基地押しつけ場所として沖縄を利用しようとした昭和天皇をはじめ、歴代自民党政権の長年の策謀の結果として今日の沖縄米軍基地があるという歴然とした現実をみるとき、安保廃止はもちろんのこと、八〇%以上の安保体制支持者がいるという日本「本土」=ヤマトの責任において、高橋哲哉の言うように、基地を応分に引き取るしか手はないと言うべきである。そうしてから初めて、ヤマトゥンチュは沖縄人=ウチナーンチュと対等に米軍基地撤廃すなわち安保廃棄に起ち上がる権利をもてるのである。当然、そのさきにはこうした今日の日本の、あるべき姿から遠く外れた現状を導いた責任者たちの追及も見据えていくことになるだろう。(2015/7/18)

 リュシアン・フェーヴルとともにフランス・アナール派歴史学の創設者のひとりであるマルク・ブロックという大歴史家のことは知らないわけではなかったが、きちんと読んだことはなかった。『封建社会』という主著のひとつは書棚に眠ったままであった。
 そんなブロックの『奇妙な敗北――1940年の証言』という本を読むにいたったのは、ちょうど編集にたずさわっているホルヘ・センプルンの講演集『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルと抵抗のモラル』のなかのブロックにかんする部分を読んで、感銘を受けたからである。当初、原書目次にあるBlochはエルンスト・ブロッホのことだと思っていたというオチもつくのだが(ブロッホはドイツ語読みだが、同じ綴りでもフランス語ではブロックになる。いずれもユダヤ系の名である)、なにはともあれ、センプルンの連続講演集は1930年代後半から第二次世界大戦中の三人の哲学者、歴史家、作家のナチズム、ファシズムに抵抗する人間としての生き方を論じたもので、いまのきな臭い世界ひいては日本の政治状況のなかで人間としていかに生きるべきかを示唆するものとして非常に重要な本に思われるのである。
 というわけで『奇妙な敗北――1940年の証言』についてコメントしておきたい。この本はもともと第二次世界大戦に志願兵として対独戦に参加し、1940年のフランス軍のみじめな敗北を味わうなかで書かれた手記である。ブロックは若いときにすでに第一次世界大戦にも従軍した経験があり、その戦功によりいくつもの勲章を得ているほどの実績ある軍人でもあった。1886年生まれのブロックは参戦当時すでに54歳。年齢的にも社会的にも兵役免除されている身分でありながらの参戦であった。
 ブロックは冒頭でこう書いている。
《ここに書き綴っているものは、出版されることがあるだろうか。私にはわからない。いずれにせよ、長い間これは知られぬままになったり、私の直接の仲間たち以外のところに埋もれてしまう可能性は高い。それでも私は書こうと決心した。(......)証言というものは、それがまだ新鮮なうちに書きとめられてこそ価値があるはずであり、私にはそうした証言にまったく意味がないとはどうしても思えない。》(平野千果子訳、岩波書店、39ページ)
 はたして生きて戻れるか、書いたものが後生に読まれうるのかどうかも不明なままで、それでも歴史家としてリアルタイムで戦争の記録を残さねばならないという気概にみちたものである。ここでブロックは英仏連合軍の参謀将校としての立場からフランス軍が負けるべくして負けたことを、その内部の戦略的甘さ、読みの悪さ、軍機構のつまらぬ官僚的体質、上層部から政権全体に及ぶ判断力と決断力の欠如、といった側面を余すところなく暴いている。たとえばブロックはこんなふうに書いている。
《私たちの軍が敗北したのは、多くの誤りがおかされ、その結果が積み重なったためである。それらの誤りは種々雑多だったが、共通しているのはいずれにも怠慢がはびこっていることだった。司令官や司令官の名のもとに行動していた者たちは、この戦争についてじっくり考えることができなかったのだ。言い換えるなら、ドイツ軍の勝利は、基本的には頭脳による勝利であり、そこにこそもっと重大な問題があるはずである。》(82ページ)
 それは端的に言えば、距離と速度の問題である。第一次大戦の経験にふんぞりかえるフランス軍上層部の古い頭では第二次大戦時における軍事技術の進歩、それに対応する戦略においてヒットラー・ドイツにまったく遅れをとっていたのである。「ドイツ軍のテンポは、新しい時代の速度を増した振動に合わせたものだった」のにたいして「私たちは、長い投げ槍で銃に対抗するという、植民地拡張の歴史にはなじみのある戦闘を再現したにすぎない。そして今回、未開人の役を演じたのは私たちだった。」(83ページ)――そしてこれは戦時中の日本軍が国内戦にそなえて国民に槍と刀で米軍に立ち向かわせようとした愚かさを思わせないわけにいかない。
 要するに、ドイツの電撃作戦に古い頭のフランス軍はその速度と距離感をまったく想定できなかったのである。「ドイツ軍は行動と不測の事態というものを信条とし、フランス軍は動かずにいることと既成事実とを信条としたのだ。」(96ページ)ベルギーとフランスの国境あたりでドイツ軍の予想外の追撃の早さにあわてふためく英仏連合軍のみっともなさが活写されている。
《速度の戦争においては、ドイツの心理学に基づく計算は当然のことながら的を射たものだった。しかしフランスでは、戦略について意見を聞くために、奇妙にも感情を測ることに専念する学者を何人か、その研究室から引っ張り出して来たらどうかと提案をしただけで、参謀部ではどのような嘲笑が起きたことだろう!》(106ページ)
 ブロックの憤懣が爆発しているが、そのあたりのことはいまは措いておこう。
 しかしこれらはけっして批判のための批判ではなかった。ユダヤ人であるブロックは遺書にもあるように「ユダヤ人として生まれたことを否認しようなどと考えたことは一度もなかった」(242ページ)にもかかわらず、それ以上にフランス人として生きてきた。だからこそブロックはこう書いたのである。
《だが何が起きようと、フランスは私の祖国でありつづけるだろうし、私の心がフランスから離れることはないだろう。私はフランスに生まれ、フランス文化の泉から多くを享受した。フランスの過去を自分の過去とし、フランスの空の下でなければ安らげない。だから今度は私がフランスを守る番だと、最善を尽くしたのだ。》(42ページ)
 なんとも感動的なことばである。こんなふうに書くことのできるブロックをうらやましくさえ思える。そしてブロックはフランス敗北のあとも、当然のように、対独協力のヴィシー政権に抗して対独レジスタンスを継続する。著名な学者でありながらひとりのレジスタントとしてあくまでも故国フランスのために命を捧げる覚悟であった。この覚書の最後にブロックはこう書いている。
《私たちはまだ血を流すべきだと思う。たとえそれが大切な人たちのものだとしてもである(......)。なぜなら犠牲のないところに救済はないのであり、全面的な国民の自由も、自らそれを勝ち取ろうと努力しなければならないからだ。》(238ページ)――そしてブロック自身、ゲシュタポに逮捕され、フランス解放をまぢかに控えた1944年6月16日、ナチズムの兇弾に斃れたのである。
 真の愛国者とはこういう人間のことを言うのである。そしてこうした人間が存在したことをいまこそわれわれは再確認し、そのことばを遺書として今日の世界でよりよく生きるために学び直さなければならない。(2015/6/26)

 先日(6月4日)、岩波ホールでのジャン・ユンカーマン監督映画『沖縄 うりずんの雨』を見に行った。6月20日からの上映にあたっての最終回の試写会ということもあって、満席だった。事前の評判もいいことを聞いていたので、なんとしても見ておかなければならない作品だったが、なかなか時間がとれずようやく最終回になって見ることができたのである。監督のユンカーマンさんとはおととしの知念ウシ出版記念会で初めてお会いしたが、今回は上映後の挨拶に登場されたあとに簡単な挨拶ができた。
 このドキュメンタリー映画は四部仕立てで(第1部=沖縄戦、第2部=占領、第3部=凌辱、第4部=明日へ)、沖縄戦などの古い記録写真を生かしながら、新しい映像と語りを入れた重層的なフィルム構成になっている。沖縄戦後70年という節目の年をまえに3年の歳月をかけて製作されたという。いぜんとして沖縄の植民地状況をよく知らない、あるいは知ろうとしない多くの日本人、さらには辺野古への強引な基地移設を推し進めようとして現地の反対を無視しつづける安倍強権政権へむけての、沖縄の歴史と現状を視覚的にも強く訴える作品となった。また、大田昌秀元沖縄県知事、元海兵隊員で政治学者のダグラス・ラミスさん、写真家石川真生さん(とその写真集『FENCES, OKINAWA』)などよく知っているひとや、知花昌一さんのような不屈の運動家のインタビューも断続的にはさみこまれていて、その肉声によっても沖縄の歴史と現状がよりわかりやすく伝わってくる。ちなみにタイトルに出てくる「うりずん」とはパンフレットによれば「潤い始め(うるおいぞめ)が語源とされ、冬が終わって大地が潤い、草木が芽吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉」とされ、「この時期になると戦争の記憶が蘇り、体調を崩す人たちがいる」ということで「沖縄を語る視点のひとつ」として映画のタイトルに使われたそうである。
 第二次世界大戦中、日本で唯一戦場となった沖縄には守備隊10万にたいして米軍は55万の大戦力で攻撃してきた。地形も変わったと言われたほどの海からの艦砲射撃、空からの爆撃につづいて1945年4月1日に読谷村に海兵隊が上陸し、12週間にわたる激しい地上戦のすえ占領された。戦闘に巻き込まれた住民も4人にひとりという死者を出し、日本軍の強い抵抗もあって米軍も多大な死者を出している。
「第1部 沖縄戦」は主として米国立公文書館所蔵の米軍記録映像(写真家ユージン・スミスのものをふくんでいる)をもとにしているが、2004年8月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件や現在の普天間飛行場の金網に基地反対の抗議文や布切れを貼り付ける住民の抗議行動も(あわせてそれを撤去する雇われ日本人の恥ずべき振舞いと発言も)記録されている。当時の元米兵の証言も以後、随処におりまぜて収録されており、悲惨な沖縄地上戦の米軍に与えた恐怖とトラウマも明らかにされている。またガマ(洞窟)に避難させられた住民たちの生き残りの証言も全篇にわたってちりばめられており、当時の日本および日本軍に刷り込まれた米軍への恐怖によっていつでも天皇のために死ぬことを最優先で考えさせられてきた実情が語られている。住民がむしろ日本軍によってスパイ視され残虐に殺されたりした話には事欠かないが、こうした体験が沖縄人の心底に戦争への忌避、平和への強い願いをいまも生んでいる背景がおのずと浮き上がってくる。
「第2部 占領」では、沖縄戦のすべての死者名(米兵のそれもふくむ)の刻みこまれた「平和の礎(いしじ)」の写真、「コザ暴動」と呼ばれた沖縄人の怒りの爆発とその記録の数々が映像化されている。「第3部 凌辱」では、チビチリガマでの集団自決が生き残りの女性の証言や知花昌一の解説によってその悲惨さが明らかにされ、また12歳の少女強姦事件を起こした3人の米兵のひとりがそのときの状況といまの心境をインタビューで答えているのも、その悲痛な表情とともに印象に残る。
 こうした反戦平和へのあくなきメッセージを発するこの映画のインパクトはたいへん強いものがある。ユンカーマン監督はパンフレットの「監督の言葉」の最後でこう書いている。
《米軍基地を撤廃するための闘いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。》
 この誠心誠意にあふれたアメリカ映画人のことばをわれわれは深くみずからに問い直さなければならない。沖縄県民の総意で圧倒的な勝利で実現したいまの翁長雄志県知事の度重なる要請にもかかわらず辺野古基地建設の野望を実現しようとする日米政府の植民地主義者的野望を打ち砕くのはわれわれ日本人でなければならない。安倍晋三首相をはじめ、そのたんなるおうむにすぎない官房長官や防衛大臣らの無能な発言と厚顔無恥な表情を見ていると、こうした本来ならば現実政治を担う見識も能力もない「お友達内閣」などをいまだにのさばらせているわれわれ有権者の卑屈と無責任ぶりをあらためて認識せざるをえない。そればかりかこのまま放置すれば、平気で「わが軍」(安倍の本音発言、自衛隊を指す)の海外進出、さらには米軍のお先棒をかついだ海外侵略、はては安倍と同類の領土拡張論者=習近平体制のいまの中国との最終戦争さえ予断を許さないいまの状況にたいして、あまりに鈍感な日本人をいつまで演じるつもりなのか、日本と日本人の危機を感じざるをえない。
 この『沖縄 うりずんの雨』をひとりでも多くの日本人が見て、なにかを考える機会にしてもらいたいと切に思うしだいである。(2015/6/6)

 書籍のISBNコード(International Standard Book Number)は一冊の書物ごとに振られている世界共通ルールにもとづく番号である。いまは13桁のコードが使われるようになっており、最初の3桁は「978-」で始まることになっている。その次にくるのが国別記号、出版社記号、書名記号、最後にチェックデジット(チェック数字)という構成になっており、この10桁分が可変的である。ついでに言えば、最後のチェックデジットはそれまでの12桁の数字から自動的に計算される、誤記防止用の数字であるから、使えるのは9桁である。さらに言えば、国別記号と出版社記号は国や出版社の規模(出版された書籍数)によってどこかの時点で権力的に決められているので、実際に使える桁数にはかなり幅がある。
 ISBNコードが権力的であるというのは、たとえば国別記号で日本は「4」が与えられているが、英語圏が0と1、フランスが2、ドイツが3、ロシアが5、中国が7、などと決められており、弱小国になると5桁ぐらいになるものもある。ちなみにお隣の韓国は「89」、イタリアなどでも「88」となっている。出版社記号も2桁から数桁ぐらいになる。これも同じ理由で、たとえば岩波書店は「00」、講談社は「06」となっている。中堅出版社は3桁ないし4桁が多く、新興出版社やマイナープレスになると5桁、6桁になっている。これはどういうことかと言うと、国別記号、出版社記号、書名記号で使える9桁のうち、書名に使える桁にずいぶん差があるということである。未來社は「4-624-」となるため、書名用に5桁使えるので、最大99999冊のコード付けが可能であるが、これが出版社記号6桁の出版社になると書名用には2桁、つまり99冊しか本が作れないということになる。この差をどう考えるかは別にして、これが権力的でないと言えばうそになるだろう。だから外国の出版社の規模を判断するに出版社記号に何桁の数字があてがわれているかで、知らない出版社の規模がおよそ想像できてしまうことにもなる。
 日本ではこのISBNコードを管理しているのが日本図書コード管理センターというところで、日本書籍出版協会の別セクションと言ってもいいような組織である。
 というわけで先日、確認の必要があってこのセンターに電話をしたのだが、そこのセンター長に確認した問題への公式回答がおよそ納得のいくものでないために、わたしはこうした文書を書いて業界内外にひろく問いを立ててみたくなったのである。
 ことのおこりは、たまたま未來社が参加している書物復権の会の本年度復刊書目のなかに内田義彦著『経済学史講義』というかつてのロングセラーがあり、これを復刊するにあたり、より購入してもらいやすくするためにそれ以前の箱入りをやめてカバー装にすることにしたのであるが、そのさいに読者や図書館のためにすでに購入ずみのものとは内容的に(すくなくとも版面的に)いっさい変更がないことを明示するために[新装版]という表示をくわえたところ、ある取次窓口から書名に変更があるからISBNコードを変えてくれ、という要請が出されたのである。[新装版]というのが書名変更にあたるというのである。一般に内容に変更がある場合、改訂版とか増補版、第二版、新版などという名前を元の書名に追加して表示することを「角書き」と呼び、それをふくめたものを書名とみなすというのは常識であるが、新装版はそれにあたらないというのがわたしの見解である。わたしはだいぶ以前に日本図書館協会の専務理事から、出版社が内容に変化がないのに安易にコードを変えることがあるのは、図書館として在庫がある書籍を間違って再購入してしまうことがあるから、こういうことは絶対にやめてくれと言われたことがある。これはたまたまわたしが聞いただけの話だが、その理屈はもっともなことだと思い、たまに新装復刊するような本があってもISBNコードを変えない原則でこれまでやってきた。それこそ外見が違うだけの同一の中身にたいして2種類のコードがあるのはおかしなことだからである。それにたいして文句を言われたこともなかった。
 ところが最近はかならずしもそうではないという話で、商売的にもコードを変えたほうが販路が拡がるために変更するのがあたりまえになっているらしい。図書館が間違って購入したとしても、それは購入者の責任だという笑えない話も聞いた。ちょっとそれは出版社の頽廃じゃないの、とわたしなどは思わざるをえない。こういうことを言うと、むかしこの種の主張をしたときに言われたことがあるように、〈書生さん〉らしい小理屈だということになるかもしれないが、一物二価ならぬ一物二コードということになるんじゃないのか。
 そんなわけでこの取次窓口でもこの問題は日本図書コード管理センターの見解を聞いてくれ、ということを言われたので、さっそくセンターに確認したわけである。その結果は、驚いたことにカバーなどの外装または奥付に[新装版]と表示したらそれは書名の変更であるからISBNコードの変更が必要だという理解であり、外装を変えても表示がどこにもなければ逆にコードを変更してはならない、という見解を聞かされた。それは無原則だし、内容は同じなのに、別コードを振るというのは理念的にもおかしいのではないかと主張したところ、そういう問題にたいして議論するつもりはないときっぱり断わられてしまった。なんであれそういうルールで運用されているので、某取次窓口の判断は「正しい」のだそうだ。ただし罰則規定はないので、このルールをあてはめるかどうかは最終的に出版社の判断だとも言われる始末である。以前にも消費税増税にあたって本の総額表示問題にもそんないきさつがあったことを思い出す。わたしは前述した理念的根拠からこの「ルール」を今回にかんしては採用するつもりはない。
 最近はすべてにおいて流通効率の論理が優先してしまっており、こうした原則的な問題にたいしてもなんら考慮が払われていないような気がする。出版文化のあるべきすがたや読者の立場からものを考えないこうした自己中心的な運用のしかたを業界全体が疑問視しないかぎり、読者離れと出版文化の崩壊はいっそう進むだろう。(2015/4/25)

「みすず」の今福龍太ヘンリー・ソロー論連載をおもしろく読んでいるが、4月号の「書かれない書物」も身につまされるところがあり、興味深い指摘があった。
 ソローの生前刊行された2冊のうちの1冊『コンコード川とメリマック川の1週間』という本は予定の販売期間終了後に製作費用の全額弁済を条件として1000部刊行されたが、ほとんど売れず4年後に706部の在庫をソローは引き取ることになった。そのことを通じて本を出すだけでは見えてこなかった「幸福の断片」をソローは見出す。この奇妙な幸福感とは、今福によれば、「彼自身の私的な自由にたいして物質世界が干渉しないことの幸福感である。商品世界から疎外されることで、彼は彼自身の精神が世俗的な何ものにも束縛されていない、より自由なものであると真に感じられるのだった」というものである。わたしなども売れない本を出しているからよくわかるが、どうもこの解釈はやけっぱちにも聞こえる。これはソローだからこそしゃれになる話であって、世の中にゴマンとある売れない本の書き手がそんな幸福感を味わっているとはとうてい思えない。
 ソローの時代もいまも売れない本はやっぱり1000部程度しか作らない(作れない)というのは残念だが、ほんとうである。この1000部が1500部だろうと2000部だろうと、本なんか読まない金勘定屋なんかになると、どっちにしたところ「誰が買うんですか?」といった程度の差異でしかない。1億3000万だか4000万だかの日本人のうち1000人とか2000人程度の購買者などかぎりなくゼロに見えてしまうのだろう。まあ理想も使命感ももったことのない人間には1000部や2000部の意味を講釈しても馬の耳に念仏だろう。これじゃ馬もかわいそうか。
 ともかく強がりでもいい、こういうひとたちに理解されない「買われないことの自由」を満喫し、そこからもうすこし「買われる自由」に転換したいものである。わたしの『出版とは闘争である』はそういう本のつもりである。(2015/4/22)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを転載したものです。

 きのうは沖縄から知念ウシさんを迎えて普天間基地の県外移設にかんする小さな研究会があり、ウシさんに誘われてオブザーバー参加してきた。直前に会のメンバーでもある高橋哲哉さんからも連絡があり、三人で会場である岩波書店へ出向いた。
 研究会の正式の名前は「思想・良心・信教の自由研究会」というもので教師やキリスト者を中心に10年つづいている会だとあとで知った。話の骨子は、知念ウシさんの『シランフーナー(知らんふり)の暴力──知念ウシ政治発言集』(未來社、2013年)にあるように、沖縄の過剰負担となっている米軍基地をこれ以上、沖縄に置いておくわけにはいかない、日米安保を多くのヤマトンチュが支持している現状では、ヤマトが責任をもって基地を引き取るべきではないか、その痛みを知るなかで安保の存続を考えるべきではないか、という持論を展開するものであった。わたしには馴染みの説だが、この会のメンバーの多くにとっては初めて聞く話だったらしい。ウシさんの基本的見解は基地はなくすべきものであって移すだけのものではない、というものであって、基地の県外移設が最終目的ではない。ここは誤解のないようにすべき点である。沖縄人としては自分にイヤなものを他人に押しつけることはいけない、という基本的な精神的傾向がある。だからと言って、もともと自分たちが引き受けたものではない米軍基地を、普天間基地が世界一危険な基地だからという理由で同じ沖縄県にたらい回しされる謂われはない、ということである。ヤマトが必要にしているのなら応分に負担すべきじゃないか、というのがウシさんのまっとうな主張である。また、沖縄人は反基地運動のために生まれてきたわけじゃないともウシさんは言う。沖縄に行くとよくわかるが、日常生活のなかで反対運動などのために必要以上に時間とエネルギーを奪われているのが沖縄人なのだ。ヤマトでは考えられないことである。なにしろ事あるたびに県民人口140万のうち10万人の集会が開かれるのだから。東京で言えば、100万人の大集会を想像してみればよい。こうした運動のために日常生活を犠牲にしないですむようにしたい、というのがほんとうの沖縄人の心なのだと思わざるをえない。
 同じ日に翁長沖縄県知事がようやく安倍晋三首相と面談することになったが、翁長知事はウシさん同様に、もともと自分たちが招いたものでない米軍基地の代替地をどうしてまた提供しなければならないのか、という毅然とした批判を用意して安倍に迫ったが、そのあたりのことに安倍はいっさい答えようとせず、普天間基地の危険性を軽減するために、とか人道的な装いのもとにあくまでも「唯一の解決策」としての辺野古移設を押しつけようとするだけ。まったく傍若無人な振舞いだ。昨年11月の県知事選のあと、安倍は自分の思い通りにならない知事とは面会さえ拒否しつづけたのに、訪米をまえに突然の面会をすることにしたのは、言うまでもなく、マスコミ向けの(そしてヤマトンチュ向けの)「対話姿勢」といういまさらながらの擬制的なパフォーマンスにすぎない。
 ウシさんの話を聞いていて、こうした安倍のやり口を(ひそかに)自分のなかに内面化している多くのヤマトンチュの存在こそをどうにかしなければならないとあらためて強く思った。こうした傲慢で強暴な人間を行政のトップに据えているみずからの恥知らずぶりに気がつかないふり(シランフーナー)をしているヤマトンチュをどうするのかが問われているのである。(2015/4/18)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを若干の改稿したものです。

II-5 時ならぬベンサイド

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 ダニエル・ベンサイドの『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大と悲惨(19-20世紀)』(Daniel Bensai``d: MARX L'INTEMPESTIF Grandeurs et mise`res d'une aventure critique (XIXe- XXe sie`cles) を佐々木力監訳で読みはじめているところだが、これはおもしろそうだ。さすがにデリダが当代最高のマルクス主義思想家とみなしただけのことはある。1995年刊行の大部の本だが、いまをときめくトマ・ピケティなどのデータ分析一辺倒の無思想家とはモノがちがう。いわゆるトロツキストだが、フランスでは共産党もトロツキズムとは必ずしも相容れなくはない関係を保っているらしい。この本も刊行当時かなり広く読まれたそうで、フランス共産党とも理論的共存関係にあると聞いた。
 ともあれ、まだ最初のところだが、「第一部 聖から俗へ 歴史的理性の批判家マルクス」の「第1章 歴史の新しい記述法【エクリチュール】」のなかで、ベンサイドは歴史的理性を批判的に検討している。ベンサイドによれば、マルクスは「歴史のカオスに秩序を導き入れるような一般史を廃棄」し、ヘーゲル的な「本来的歴史、反省された歴史、哲学的歴史」を再吟味する。ここはベンヤミンの「歴史の概念について」とも同調する視点をベンサイドは採用している。歴史が普遍的になるのは、現実の普遍化〔世界化〕の過程を経てはじめて生成する普遍化として歴史を考えはじめることができるとベンサイドは言うのである。
 ベンサイドによれば、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでドイツ史の「逆説的な特異性」をつかみ、「革命はフランスでは政治的であるが、ドイツでは哲学的となる」という認識をもつにいたる。これは「経済的、政治的、哲学的な領域のヨーロッパ的規模での不均等発展を表わしている」のであり、この不均等性のもとで、先進は後進になり、後進は先進になるということである。《ドイツの政治的かつ経済的な「後進性」は、ドイツの哲学的「先進性」を規定するのにたいして、英国の経済的「先進性」はその内部に政治的かつ哲学的な「後進性」をはらんでいるのである。》(ベンサイド)だからマルクスは『ヘーゲル法哲学批判』への序説のなかでこう書いたのだ。《われわれは現代の歴史的な同時代人ではないが、その哲学的な同時代人なのである。》
 このヨーロッパ的な「不均等発展」の歴史的現実のなかで、政治経済的先進性と哲学的後進性(イギリス、フランス)とそれを逆転した政治経済的後進性と哲学的先進性(ドイツ)の対比はわかりやすい。ドイツ観念論からヘーゲル、マルクスへのドイツ哲学の先取性が18-19世紀ヨーロッパをリードしながら、どうして政治的経済的にドイツが立ち遅れていたのかを(ややドイツ的な解釈ながら)理解させてくれる。ヘーゲルが同時代のフランス革命をうらやんだ話はよく知られているが、この不均等発展のギャップの転倒性はおもしろい。
 ベンサイドのマルクス論を読むことによって、新しいマルクス解釈が期待できそうな気がする。大澤真幸が言うように、いまこそ読まれるべきなのは『資本論』なのかもしれない。(2015/4/12)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを転載したものです。

 きのうは村山淳彦さんの昨年11月に未來社より刊行された『エドガー・アラン・ポーの復讐』の出版記念会をかねた東洋大学退官のお祝いの会が市ヶ谷アルカディアで開かれた。70歳になった村山さんはこれからは悠々自適とのこと。思えば一橋大学時代から四半世紀以上にわたるおつきあいだったことになる。
 わたしもスピーチを頼まれていたので、村山さんの5冊の翻訳と最後の著書を刊行させてもらったお礼を述べるとともに、村山さんの特徴づけとして3点あげさせてもらった。これは言わずもがなだろうが誰もが知る村山さんの実力は別として、ひとつめは「謙虚」。『エドガー・アラン・ポーの復讐』の「まえがき」の冒頭部分が典型的なので、それを読み上げさせてもらった。つづいて「仕事の早さ」。わたしは催促したことがない。というか、いつもすでに原稿はできていたのだった。ただし、こんどの著書はわたしが「背を押した」ことにされていて、それは最後の村山さんの挨拶で触れられたことだが、わたしが村山さんに翻訳ばかりでなくて著書を出さなければいけない、と言っていたことを指していることがわかった。そう言えば、そんなことを言った気がする。失礼な話だよね。最後は「コンピュータに強いこと」。なにしろ1990年に刊行した最初の訳書レイモンド・タリス『アンチ・ソシュール』の原稿を一太郎のデータ原稿で受け取ったのは、わたしとしても初めてのデータ入稿だったので、印象に強く残っている。その後もわたしの[出版のためのテキスト実践技法]を学習してくれた編集タグ付き原稿データをもらうこともあった。
 いろいろなひとの話を聞いていて、村山さんの面倒見のいいこととともに、けっこう天の邪鬼だったということもわかって、ほほえましかった。当人は思いっきりシャイだと言うが、親しいひとにはけっこう辛辣なところもあったらしい。ともあれ、そういう村山淳彦さんがこれからはやりたいことをやるという身分になられたことは慶賀すべきことなのだろう。また仕事をいっしょにさせてもらう機会があればうれしいのだが。(2015/3/29)

 *この文章は「西谷の本音でトーク」ブログに書いたものを若干の加筆・改稿したものです。

 きのう(3月23日)は小林康夫さんの東大での最終講義を拝聴した。18号館ホールに立ち見と座り込みも出るほどの観衆を前に、小林さんらしく意表を突く演出効果満点のパフォーマンスのなかにも随所に知を語り、知を演ずる歓びを感じさせる名演であったと言えよう。
 開幕を告げるジョン・コルトレーンのバラッド演奏は一年生のための授業の始めにテーマ音楽として鳴らしたものだったそうだが、それにつづくヴェラスケス「ラス・メニナス」とピカソ「アヴィニョンの娘たち」の画像を背景にフーコー、デリダ、リオタールという3人の師を語り、そこから得たみずからの知的操作を本文なしの膨大な注の作成に終始したものと位置づけてみせたところに小林さんの矜持を見た。「ラス・メニナス」をフーコーが『言葉と物』の冒頭で表象分析した手つきを逆転させてあえてフーコーに異を立てるところもおもしろかったが、なによりも若いときにこうした書物と友人たちとの読書会をつうじて取り組んでいたというところに研鑽の厚みを感じさせるものがあり、みずからの知的貧困を思わされた。
 ちょうど読み終わった大澤真幸との対談『「知の技法」入門』のなかで、中学、高校、大学にかけて河出書房のグリーン版世界文学全集、中央公論社版「日本の文学」全巻を読破し、「世界の名著」でさすがに息切れしたといった、いわゆる濫読というか暴力的な読書体験が小林康夫という感性と知性の構造体をつくっていることをあらためて知るのだが、この厚みこそがゆるぎのない自信をもちきたらせている当のものなのだ。つまりは引き出しが多いということにつきるのだが、小林さんがインプロヴィゼーションの名手であるのはそこに理由があるわけだ。そうしたパフォーマティヴな知のありかたを見せることが小林さんの真骨頂なのであり、当人も十分に自覚するところである。
 知はなによりも行為であるとする小林さんがこの最終講義の後半をなんとみずからもふくむダンス・セッションで締めくくったのは、お見事というしかない。さきの対談本のなかですでにこう語っているではないか。《行為の究極はダンスですよね。ダンスというのは目的のない行為であり喜びのためだけの行為だから......「知」という行為もどこかでダンスみたいなことに繋がっていく。知は踊るんだと思いますね。》(218ページ)
 まったく自己解説もよくできていて、この本の段階で伏線は張られていたのである。しかも最後は「ラス・メニナス」での画家の退場する場面を復元するかのように、みずからダンスの場から室外へ立ち去っていくというオチまでつけて、フーコーの分析を体現してみせたのだから、念には念を入れた演出だったことに恐れ入る。まあ、よくやるよ、といった感慨もわかないではないが、とにかく前代未聞の「最終講義」だった。
 これにはさらにオチがつく。終了後、渋谷のカフェでおこなわれた二次会ではマイクを握って、これまた前代未聞の祝われる者みずからによる記念会の自作自演まで精力的に演じきってみせたのである。じつはこのあとの三次会にまで途中から参加してそこでも疲労をみせることなくしゃべりつづけていたこのヒトはなんというジイサンなのだろう。(2015/3/24)

 どこを向いても暗い話題ばかりがあふれている出版業界であるのはいまに始まったことではないが、書店の廃業が止まらない。かつては地方の老舗書店が世代交替もままならず、古い体質を時代にあわせて更新していくことができずに次々と店をたたんでいったが、最近ではその後に出店したナショナルチェーンの支店もたちゆかず閉店するところが多くなっている。いわゆるスクラップ・アンド・ビルドだが、どうもそれだけではすまない情勢だ。ナショナルチェーンの本家にも火がついたからである。
 すでにいろいろ報道されているように、池袋リブロが近く閉店するらしい。人文書に強い大型書店として池袋リブロは一九八〇年代にはわれわれのような専門書出版社にとってはたいへん強力なサポーターだった。デパートの書籍売り場からリブロとして立ち上げるときには小社の常備を全点買い切りで扱ってくれたことは驚くべきことだった。その後も優れたスタッフを擁して順調だったのはいつごろまでだったのだろうか。
 年々売上げが落ちていくこの業界の現状では、ナショナルチェーンといえどもこれまで通りの業態を維持していくのはむずかしい。最新の情報によれば、雑誌などはピークの一九九〇年代後半に比べて部数で半減、週刊誌にいたっては三分の一にまで減っている。書籍でも三割以上の売上げ減になっている。これでは工夫や品揃え努力によって多少は挽回する可能性はあるとしても、大型店になるとそれもかなりむずかしい。仙台地区の大型書店が軒並み閉店に追い込まれているという情報も衝撃的だ。これには東日本大震災からつづくダメージの累積もあるのだろう。
 まもなく刊行されるはずのわたしの新著『出版とは闘争である』(論創社)のなかに収録した「出版業界が半減期に入るのは時間の問題」というコラムは二〇一二年九月にこの[出版文化再生]ブログに書いたものだが、予想よりも早く現実のほうが到来したことになる。有力書店という受け皿が減少していくなかで出版社もますます苦しくなっていくのは目に見えている。
 こういうなかで、以前にお知らせしたように、この四月から「[新版]日本の民話」シリーズ全七十九巻が毎月十五日、オリジナル版の巻数順に三冊ずつ定期配本される予定である。すでに取次や大型書店、図書館流通センターなどには内容見本とともに販売交渉を進めているところで、感触はとてもいい。なかにはかつて「日本の民話」をおおいに売ってくれた経験をもつ書店人や取次人もいて、こんな不景気の時代だからなおさら期待してくれているそうで、たいへんありがたいことである。かつてはそれぞれの該当地区の老舗書店が「ご当地もの」ということで積極販売してくれた結果、大きな成果を生んでくれたものだが、いまはどれぐらい力を発揮してくれるだろうか。取次の地方担当とも連絡をとって適切な配本と販促を期待している。刊行時期にあわせて当地の地方紙にも広告を出すつもりで、準備を進めているところだ。
 また、今回は小社としても初めての試みであるリフロー型の電子書籍化も進めており、紀伊國屋書店の「KINOPPY」で先行販売的に扱ってもらうほか、アマゾンなどでの販売も検討中である。小社としてはいわゆるフィックス型の電子書籍(版面をPDFによってウェブ上で閲覧できるようにしたもの)では紀伊國屋NetLibraryや丸善eBook Libraryでの販売実績があるが、こうしたリフロー型電子書籍は一般読者を対象にしたものであり、まったく経験がないため、どういう反応があるのか、どういう可能性が開けてくるのか予測がつかない。「[新版]日本の民話」シリーズは内容的にも、挿絵が豊富にある点から言っても、スマートフォン端末などでも十分に読める一般性がある。専門書ではなかなかそうはいかないが、このシリーズにかぎっては期待してもいいのではないかと思っている。
 こうした再刊をすることになったために、すでにフィックス型を納品している紀伊國屋NetLibraryと丸善eBook Libraryには面倒をかけてしまっている。懸案事項であったすでに購入してもらっている大学図書館とどういう対応をするかも検討ずみである。新版もこれまで同様、あらたにフィックス版を納品する予定でいるので、順次入れ替えをお願いしているしだいである。内容はまったく変わらないが、活字も新しく読みやすくなり、価格も下がるので、これまで以上に購入がしやすくなるはずである。
 これにともなってこれまで欠巻が多くてオンデマンド版での購入を余儀なくされていた読者にとっても、「[新版]日本の民話」シリーズは、サイズがA5判ハードカバーから四六判ソフトカバーとハンディになり、活字も古い五号活字から新しい9ポ活字になって読みやすいうえに、価格も二〇〇〇円または二二〇〇円(税別)と手頃になった。刊行月日と価格もすでに決定しているので、読書計画にも取り入れていただけるとさいわいである。全巻予約の場合には未來社ホームページ(http://www.miraisha.co.jp/topics/2015/01/post-117.html)で期限付き予約特価の案内も出しているので、ぜひご覧いただきたい。
 ともかく、以前にも書いたことだが、日本人のこころのふるさととも言うべき民話の豊かな民衆的伝承の世界を、これからの日本を背負っていく若いひとたちを中心にぜひ読んで語りついでいってもらいたい。子ども同士でも簡単に人を殺してしまう昨今の殺伐とした人間関係を脱却し、民話が語りかける豊かな愛と共感の世界の発見へと向かってほしいと願うばかりである。そして本を読むことのすばらしい経験をきっかけに、今後も読書する習慣を身につけてほしい。それが本シリーズ再刊の最大の希望なのかもしれない。(2015/3/1)

 *この文章は「未来」2015年春号に連載「出版文化再生20」としても掲載の予定です。

 きのう(1月24日)の午後から夜にかけては稀代の哲学パフォーマーである小林康夫さんの会につきあって、なかなか充実した時間を過ごした。この会は小林さんの東大退官にあたっての最初のイヴェントとして企画されたもので、小林さんが10年以上にわたって拠点リーダーをつとめてきたUTCP(The University of Tokyo Center of Philosophy)のシンポジウム「新たな普遍性をもとめて――小林康夫との対話」で4部構成、発表者とコメンテーター計14名と小林さんとの対話という形式で午後1時から7時半まで延々とおこなわれた。小林さんがはじめにクギを刺したように、これは学会発表的なものであってはならず、あらかじめ小林さんが設定しておいた質問――(超)実存とは可能か、資本主義の未来、など――への個人の心底からの回答が求められるというもので、多少のバラツキはあるものの、おおむね創意に富んだものであったと言ってよいだろう。
 第一部冒頭で、いまや売れっ子となった国分功一郎は、人間の存在それ自体がもつ本源的な〈傷〉をどう抱えていくのか、というところでルソーの本性的自然人と別のかたちで生きなければならない現代的人間がかかえこまざるをえないfate=運命という観点をもちだし、尖端的医学の知見を応用して「当事者問題」を対他的に開いていくことで〈傷〉の治癒が実現されつつあるという論点を示した。これにはいろいろ異論や疑問も提出されたが、小林さんの実存への再検討という設問へのずらしの効いた回答になっていたように思った。
 また、ブルガリア出身の日本文学者、デンニッツァ・ガブラコヴァさんの「humanitasとantropos」という発表や、それにたいする中国出身の思想研究者、王前さんのコメントに見られたように、西欧近代の人間概念をそろそろ東アジア的視点で読み替えていく(脱構築していく)必要性=必然性が語られた。小林さんが言うように、こうした西欧の周辺地域や非西欧の知識人たちをも抱え込んで活動してきたところにUTCPという組織の独自性があるのだが、今回のシンポジウムはそうした人材の豊富さ、多彩さを開陳するものともなった。
 こういう人材を育ててきたUTCPという場は、今回のシンポジウムを開催することでそうした人材の成長を証明する場にもなったということで小林さんはとても満足していることをわたしにもらしたが、それは本音であったと思う。とにかくUTCPはたしかに有能な人材を輩出していくことで、この停滞する世界にさまざまな知のモデルを提供してきているが、小林さんという強力なコーディネーター抜きで今後もそうした課題を克服していくのは大変だろう。
 最後に小林さんは、いまの哲学雑誌などにほんとうの哲学は存在しないと断言し、これからの哲学は閉塞した現実にたいしていかにして風穴をあけ展望する視点を見出せるかというスタイルとワザが必要なのであると力強く締めくくった。世界にたいして日本から発信する哲学を、と。小林さんもふくめて、これからのひとたちにぜひそうした展開を期待したい。(2015.1.25)