先日、論創社の森下紀夫社長から渡された小泉孝一さんのインタビュー本『鈴木書店の成長と衰退』を読んでみた。10年前に倒産した鈴木書店の生え抜きのひとりとして創業者の鈴木眞一氏を支え、苦楽をともにしてきたこの取次人の発言記録は、わたしにもたいへん興味あるものであり、鈴木書店時代の最後のころと、請われてベイトソンなどの翻訳を出している小専門書出版社の社長を引き受けていた時代にとても親しくつきあわせてもらった者にとって、さまざまな情報をもたらしてくれるものであり、感慨深いものがあった。
この本には未來社と先代のことも何度か言及されており、西谷能雄が紀伊國屋書店松原社長と鈴木書店とのトラブルに介入した話など、わたしも知らなかった。日販が鈴木書店を買収しようとした話もあり、また、わたしが、当時、岩波書店とともに鈴木書店の経営に参画していたみすず書房の小熊勇次前社長(当時)の意向を受けて、トーハンの金田新社長に鈴木書店の買収を打診しに行った話(西谷能雄となっているのは能英の間違い)のことも出てくるし、鈴木社長のあとをうけた宮川社長との古くからの軋轢のこともいろいろ出てくるし、社内改革に苦慮している話も何度も聞かされた記憶がある。それぞれ腑に落ちる話である。わたしが岩波書店やみすず書房、東京大学出版会などに声をかけて小泉さんを中心に「鈴木書店を励ます会」をつくってしばらく定期的に会合をしたこともあった。結局、小泉さんは退社に追い込まれて、そうした協力関係も生かせなかった。このインタビューを読むと、小泉さんも言うように、鈴木書店がなんとか存続していたら、いまの出版不況にたいしてなんらかの打開する力になっていたかもしれない、というのはすこし未練がましいが、ほんとうである。
しかし、この本の最後でインタビュアーの小田光雄が書いていることを読んで、愕然とした。なぜなら、このインタビュー(2011年10月)の校正をいちおう終えたあとで、3年ちかく小泉さんと連絡がとれなくなってしまい、「未刊のままで放置するのはしのび難く」刊行に踏み切ったこと、「最悪の場合はこのインタビューが遺書として残された」可能性があると、書かれていたからである。そう言えば、いつも年賀状をやりとりしていたが、このところ途絶えていたな、といまさらながら気づいた。このインタビューに同席したらしい後藤克寬さん(元鈴木書店)がJRC(人文・社会科学書流通センター)を立ち上げるときにはわたしや森下さんらとともに支援の中心になってくれたのが小泉さんだった。いっしょに何度か呑んだが、あの明るく歯切れのいい声をもう聞くことはできないのかもしれないと思うと、なんだかひどく世の中がますますさびしく思えてくる。(2014.12.30)