「エディターシップ」3号に掲載された井出彰さん(現在、図書新聞社社長)の「『日本読書新聞』と混沌の六〇年代」という講演録がおもしろい。井出さんが「日本読書新聞」の編集長だった話は不覚にも知らなかった。新左翼系の運動家で官憲につけまわされていた話もなかなかリアルだ。わたしも「日本読書新聞」が廃刊になった1984年前半に半年間「詩時評」をいまは東京新聞にいる大日方公男に頼まれて書いていたので、この年の後半に廃刊になったことを記憶している。廃刊の理由がはっきりしないというのもおもしろいが、そのころは井出さんはもういなかったらしい。
それにしても井出さんも話しているが、メモをとっていないのでいろいろ歴史的に重要な事実がはっきり日付を特定できないために、記憶だけにたよっているという問題がある。合同出版の経営に関与した「木曜会」というのがあったそうで、7社の硬派出版社の社長が毎年交代で社長をつとめた話が出てくるが、そのうちのひとりが西谷能雄だったとの話はわたしは聞いたことがない。井出さんも「たぶん西谷能雄さんの息子の能英さんだって、そういうことは知らないと思うのです」と語っているが、たしかにわたしも知らない話である。この7人とは竹森久次(五月書房)、小宮山量平(理論社)、竹村一(三一書房)と西谷能雄などで、井出さんに言わせると「彼らは共産党員であって」ということになっているが、わたしの知るかぎり父は共産党シンパではあっても党員になったことはなかったはずである。別にどうでもいいけど、井出さんに確認したところ、どうもそのへんは曖昧だったらしく、ひとから聞いた話だそうである。
同じ号で、みずのわ出版の柳原一徳さんの「世代を繋ぐ仕事」という講演録もなかなかいい。「出版に携わる人間は、直截的な運動によって社会を変えていくのではない。一点一点、丁寧に、まともな本を世に出していくこと」がなによりも大切だというしっかりした視点をもっている。未來社にもかかわりのある宮本常一にかんしても、著作権を悪用する事件があったことにも触れていて、実態がはっきりわかった。宮本の生地と同じ周防大島出身だが、いまは畑仕事をしながらひとり出版社をつづけているそうで、地方出版はほんとうに大変そうだ。
この号は、井出さんが父のことを話しているからとトランスビューの中嶋廣さんから送ってもらったものだが、なかなかの充実ぶりだ。中嶋さんの「鷲尾賢也と小高賢」は鷲尾さんの追悼文として読ませるものがあり、わたしは接する機会がほとんどなかったが、会って話しておきたかったひとだと思った。この鷲尾さんには二、三年まえにいちど声をかけられたことがある。たしか高麗隆彦さんが古巣の精興社の画廊で装幀本の個展を開いたときだったと思うが、鷲尾さんが編集(インタビュー)した本への[未来の窓]での批判を褒められたことを思い出した。あなたの言うことはほとんどあってますよ、と鷲尾さんは率直に言ってくれたのである。中嶋さんの文章によると、ひとを褒めることはほとんどなかったという鷲尾さんがどういうつもりでそう言ったのか、いまとなってはわからない。本のことが無類に好きで、「生まれ変わってもやりたい仕事だ」という編集者であった鷲尾さんからすると、わたしのような計画性のない、行き当たりばったりの仕事はさぞや編集者の風上にも置けないものなのだろうと痛感する。(2014/10/4)
(この文章は「西谷の本音でトーク」から転載したものです。)