91:沖縄県知事選をまえに仲宗根勇の新刊で理論武装しよう

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 前回に書いたことのつづきを書く。川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』(未來社)の刊行を記念して那覇で開催されたシンポジウム(7月12日)のさいに、コメンテーターのひとりとして登壇された仲宗根勇さんとその日のうちに新刊企画の話が進み、帰京後すぐ送ってきてくれた論考や時評などを読んで、これはますます今後の琉球(沖縄)の動向にとってこのひとの論点提起はぜひとも必要になるだろうと直感し、できればこの1か月ぐらいで100枚の書き下ろしはお願いできないかということを相談したことまではすでに書いた。書けるかどうかわからないとされながらも、なんと翌月12日の日付が変わる2分前に最終原稿がメールで届いた。そのまえにも途中経過の原稿を二度ほど見せてもらいながら書いてもらいたいテーマの追加挿入や、気になる問題点の指摘をさせてもらって同時に推敲もしてもらいながらの完成で、約束通り1か月で書き下ろし(最終的には120枚超)を実現してくれたことになる。その律儀さもさることながら淀みなく力強い筆致に、ひさびさに書き手の思いの強さを感じさせられた。
 仲宗根勇さんの新著『沖縄差別と闘う――悠久の自立を求めて』は、この書き下ろしを巻頭に、1980年代に書かれ、今日の沖縄の状況にいまでもそのまま通用しうる、先見の明にあふれた前述の論考や時評を後半に配置して、11月16日の沖縄県知事選をまえに、9月中には緊急出版の予定である。自民党安倍強権=狂犬政権によって選挙前に既成事実化をねらって強行されはじめた名護市辺野古沖の世界的天然記念物サンゴ礁を破壊するボーリング工事など、世界的な指弾のなかで暴走をやめないこの軍国主義者は沖縄県知事選に向けてなりふりかまわない暴行をつぎつぎとすすめている。普天間基地の県外移設を公約に県知事再選をはたした仲井眞弘多を公約違反に追い込み、仲井眞では選挙に勝てないと迷走したあげく、候補者難から県連の意向も受けて仲井眞を推薦しているものの、このままではやはり勝てないと踏んでいるらしく、これまでにもまして裏工作や脅しなどによって政権維持に躍起となるだろう。仲宗根さんの本はこうした当面の課題である沖縄県知事選で県内移設を強引に押し進めようとする権力主義的=利権主義的思惑を打ち破るための理論武装にもなる本である。
 仲宗根勇さんは、正当な手続きもなく勝手な解釈で平和憲法をぶち壊そうとする安倍晋三の暴挙を「憲法クーデター」と呼んでおり、ヒトラーがワイマール共和国憲法をなし崩しに解釈して独裁を築いた方法と重ね合わせてみているが、まったくその通りというしかない情勢になっている。仲宗根さんは「あとがき」にこう書いている。
《二〇一四年十一月の沖縄県知事選挙は、沖縄の民意を無視し、海上保安庁、防衛局、警察を総動員し辺野古移設工事に狂奔する安倍内閣、正確にいえば、憲法違反の選挙で選ばれた無資格国会の指名で、「国家権力」を_^僭窃【せんせつ】^_している安倍一派による国家悪に立ち向かう民衆蜂起の性格をもたざるをえない。この選挙は沖縄の未来を決する大きな歴史的意義をもつ。安倍一派の辺野古基地建設強行こそは沖縄差別を明確に示す決定的な蛮行にほかならず、沖縄は、憲法クーデターによって憲法危機を公然化させ戦争国家へひた走る安倍晋三壊憲内閣と対峙して構造差別を断ち、悠久の自立へ向かう歴史的転換点を迎えようとしている。》
 まさにこの11月に行なわれる沖縄県知事選はたんにひとつの県の首長を決める選挙にとどまらず、軍事基地や周辺諸国とのねじれた関係を今後どうするのかという緊急課題をふくめて、日本の今後のありかたにも大きな影響を及ぼすことは必定である。軍国主義にひた走る安倍政権のやりたい放題への審判も問われているのであり、その進退もこの選挙の結果にかかっているといっても言いすぎではない。だからこそ、安倍は必死になってこの選挙を勝つための悪あがきをしているのだ。ヤマトに住んでいる人間の多くはこの選挙のもつ重大な意味を十分に理解していないのではないかとわたしは怖れる。現に、わたしの親しい友人でさえ、わたしの沖縄への肩入れを多く記述したわたしの本などは売れないと断定してくれる始末である。ヤマトの人間の沖縄への関心の鈍さ、というか世界理解への浅さはどうしてこんな程度のままなのだろうかと不信が募るばかりである。沖縄人の気持ちがよくわかるのである。
 さて、仲宗根勇さんは、沖縄の日本「復帰」をめぐって1970年代から80年代なかばにかけて反復帰論者として鋭い批判を展開した論客として広く知られていたが、裁判官(沖縄県から初めて合格し「熱血裁判官」としても知られたらしい)になるという立場からこの30年ほどは沈黙をせざるをえなかったひとである。だから沖縄の若いひとには馴染みのないひともいるだろうが(ヤマトではわたしもふくめて十分に知られていなかったが)、裁判官退官後ふたたびその舌鋒鋭い批判の論理は衰えることなく、むしろこの間の「沈黙」中に蓄積されたエネルギーが大爆発している感がある。今回の書き下ろしなどはその典型だろうが、20代後半から30代にかけて書いた論考をまとめた『沖縄少数派――その思想的遺言』(1981年刊、三一書房)にはすでにその痛快で切れのよい批判力と論理的一貫性が冴え渡っている。たとえば、圧倒的に多くの「復帰」主義者が祖国としての日本「復帰」を過剰に信じこんで、「復帰」後のヤマトの理不尽な経済的侵略、政治的切断などすべて予想を裏切られるかたちで沖縄がたんにヤマトに組み込まれるにすぎなかった事態を招いたまま責任もとらず、県会議員や県庁職員などに横滑りして自分たちだけが「成功者」になり、絶対多数の民衆は生活を破壊され塗炭の苦しみをなめさせられた現状を1980年時点でつぎのように総括している。
《日本復帰というものが、沖縄の民衆の、革新的な最大限綱領のような外貌をとりながら、実は、変革とはおよそ無縁の、いかなるナショナリズムも許容しうる程度の最小限綱領にほかならないことを、大部分の「復帰」主義者たちが、明確に認識しえなかったことに、沖縄社会の今日の事態の、ひとつの悲劇的要因が潜んでいたと言えるかも知れない。そうでなければ、彼ら「復帰」主義者たちは、沖縄社会のあらゆる分野の、あらゆる意味での「復帰犠牲者たち」の鎮魂の「墓標」さえ建て得ぬままに、無神経なまでに厚顔におのれの「栄光」をことほぐことなど、でき得るはずはないからである。》(『沖縄少数派』212ページ)
 仲宗根勇さんの新刊をこの時期に世に送り出せることの幸運をほんとうの幸福に結びつけるためには、沖縄の人間はもとよりヤマトの人間も本書を読んで事態の重大さに目をこらしていただきたいと切に願うのみである。
(2014/8/31)

(この文章はすこし短縮して「未来」2014年10月号に連載「出版文化再生18」としても掲載する予定です)

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