すでにこの[出版文化再生]ブログの「80 絶対平和主義の社会構想――『琉球共和社会憲法私案』をいま問い直す必要」で書いたように、昨年末の東京外国語大学でのイベントのさいに、ゲストとして招かれていた沖縄の批評家仲里効さん、詩人の川満信一さんと会い、以前からあたためていた企画をあらためて世に問おうということになって、年明けから企画書をつくり、執筆者に呼びかけてこの六月に刊行の運びになったのが『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』である。
スタートが予定よりすこし遅れてしまい、予定していた執筆者の何人かが書けないという事態になってしまったが、それでも十二名の協力を得て三〇〇ページ超の質量ともに十分な書物となってこのほど結実した。執筆者の何人かが予定の枚数を超えた力作を書いてきてくれたからでもあったが、最初の構想どおりに実現していたら、いまの倍になったかもしれない。それはそれで壮観だったろうが、この本が現在の琉球人にとって自分たちの将来を考えていくうえでの自己決定を迫る問題提起の書としてひろく読まれるためには、今回の分量ぐらいがちょうどよかったのかもしれないと思う。
編者の川満信一・仲里効ご両人の判断もあって、琉球側から(編者もふくめて)七名、ヤマト側から四名、そして海外(中国)から一名の執筆陣はバランスがとれているのではないか。当然ながらほかにしかるべき執筆者はまだまだいることは間違いないし、そのことは十分認識しているつもりだが、今回はいま現に強行されようとしている日本国憲法第九条を骨抜きにしようとする強権政治の策動にたいする強烈なアンチとして、すでに一九八一年時点で提出されていた川満信一さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」という絶対平和主義を志向する社会構想を、この二〇一四年という時点であらためてその思想的・政治的射程を探るテーマの必然性と緊急性においてともあれ刊行する必要があった。見るひとによっては不十分だったり偏向があるかもしれないが、これを企画・編集したわたしとしてはこうした出版行為はいま出版にかかわる者として現時点で避けて通ることは許されないものに思われたのである。いま手元に本文の一部抜きがあるが、なんとも言えない達成感がある。
しかし、それと同時に、琉球の出自をもつわけでもなくそこに在住しているわけでもないヤマト(日本)の人間として、琉球独立をも辞さない、琉球人の自己決定権の確立を促すような挑発的すぎるかもしれない本を積極的に編集・発行する出版行為とはどういうものかとあらためて考えざるをえない。琉球にとって良かれと思って出版することがほんとうに琉球人のためになっているのか、当事者ではない自分がどうしてそれを判断することができるのか、という問いである。ある琉球人によれば、未來社の琉球関連の出版は、ヤマト資本の琉球への侵略行為だと言われたことがある。たしかに出版業も資本主義社会のなかでのひとつの企業行為である以上、そうした側面があることは否定できないけれども、未來社ごときの小企業があたかも大資本の侵略行為のように解釈されることがあるとは想定もできなかっただけに、そしてそういうふうに解釈されたことは経験したことがなかっただけに、驚きを隠せなかった。ヤマトの出版社が琉球関連本を出版し、琉球人に広く読まれることが琉球人への加担のつもりでも、その商行為の内実において琉球への資本投下と(不十分ながらも)回収という論理を避けることはできない。ヤマト内部ではこんなことは考える必要もないのに、どうしてこう忸怩たる思いにとらわれるのだろう。
それはともかく、本書には企画の原点となった川満信一「琉球共和社会憲法C私(試)案」を巻頭に掲げ、さらにこの私案をめぐって当時からの琉球人の精神的支柱とも言うべき存在である平恒次(タイラ・コージ)氏と川満信一さんの一九八五年の対談「近代国家終えんへの道標」もあわせて掲載してある。これは川満憲法私案の意味と価値を当時の時点で解説し、「琉球人の趣味、思想、理想等の基礎的な共通性」としての「琉球教」の確立の必要性を明らかにしたものであり、いまとなっては貴重な記録である。さらに本書には現時点での琉球の実情を踏まえ、川満憲法私案を補足しあるいは補訂し(高良勉)、さらには「響和」(今福龍太)して来たるべき琉球理想社会、戦争も基地もない絶対平和主義を志向する豊かな社会の設立を願う新たな憲法私案の二種類の提案もなされている。川満憲法私案をふくめてこれらはいずれも、川満私案の第一条「われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のうえにたって、人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する。......」ものであり、第二条「......軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない。......」し、第三条「いかなる理由によっても人間を殺傷してはならない。......」といった徹底した平和主義をもとに、豊かな共和社会(響和社会)の設立を願うものである。
さて、この本の帰趨がいかなるものになるのかは、すでに書いた事情によっておおいに関心のあるところである。琉球ではもちろんのことこの本が広く話題になり、日本の社会を今後どう編成したらいいのか、問題提起としての役割を果たすことができれば、琉球社会のみならずヤマト(日本)社会の沖縄依存体質、アメリカ寄り一辺倒の国家構造にも大きな変革のきっかけとなるはずである。
そうした意味でも、この七月十二日に那覇でさっそくこの本をめぐって編者や執筆者が中心になってシンポジウムが開催されることになった。委細はこれから未來社ホームページなどで見ていただきたいが、どんな議論が展開されていくのか、ぜひ自分の目で確かめてみたいと思う。(2014/6/6)
(この文章は「未来」2014年7月号に連載「出版文化再生15」としても掲載の予定です)