79 ライブ感覚の書店の棚作り――古田一晴の新著への共感

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 名古屋のちくさ正文館の古田一晴が『名古屋とちくさ正文館』(論創社)というインタビュー本(インタビュアー=小田光雄)を出した。送ってもらったまま時間がなくてすこし間があいてしまったが、一気に読んでいろいろ参考になることも考えさせられることも多かった。なによりも古田は書店の将来にまだ希望をもっているし、出版界のさまざまな問題や対案にたいして妥協しない。これまでの書店人としての経験をさらにいっそう磨きをかけることで生き延びることは可能だとかたく信じている。その姿勢がいい。頼もしい。
 古田の書店人になるいきさつはこの本でくわしく知った。演劇の演出などをやっていることは知っていたが、映画や詩や芸術についてこれほど深くかかわっていることまでは知らなかった。わたしがよく知っている北川透とその「あんかるわ」をはじめ、ウニタの竹内真一や、名古屋書店人グループの集まりやその中心にいた筑摩書房の故田中達治のことなどいろいろ出てきて、なつかしいと同時に、「名古屋文化圏」の特殊な成り立ちをあらためて認識した。人文会や歴史書懇話会とのブックフェアの試みなど、仕掛け人としての古田の人脈と力量がよく語られている。
 ちくさ正文館という人文書に理解のある稀な書店(とそのオーナー)が存在していたからこそ古田の存在がより光り輝いたという側面があったにせよ、書店の棚作りにこれほどまでの情熱と配慮をおこなってきた古田の心意気がなければ、この出版不況の時代を突破することはむずかしかっただろう。ちくさ正文館がいまとなっては中規模クラスのスペースの店になったことを受けて、「セレクトショップ」としてみずからを位置づけることができたのも、古田の棚作りの見識があったればこそであろう。古田はこんなことを言っている。
《書店に長くいると、新刊の鮮度の重要性が身に沁みている。書店の最大の楽しみは新刊の箱を開けるときだとよくいうけれど、それは読者もそうであって、新刊との出会いをもとめて書店にくるわけです。またそうであるからこそ書店が成立している。(中略)もちろん既刊本がすべて駄目だといっているのではなく、しばらく前の本でも丹念に拾い、新刊と同様に売る試みはしている。実際に棚に置くことによって、ちがう輝きを見せる本も多くあるわけだから。》(135ページ)
 そうか、新刊の箱を開くときに喜びを感じてくれるのがこのひとなんだ。そして関連書としての既刊本にも目を向けてくれる。いまはそういう書店人がどれくらいいるだろうかと思うとすこし寂しいが、こういう書店人がいるからこそなかなか売れないけれどいい人文書を出すことがまだ希望となることができるのだ。
 こういう古田の方法論からすれば、インタビュアーが問いかける時限再販論の可能性などは昨今の不況にたいする彌縫策でしかないのは当然である。古田はこう言いきっている。
《出版社は時限再販にして正味を下げれば、書店の利益率はそれで上がるから、現在の状態からは前進するし、書店にとってもメリットがあると勝手に考えているようだけど、......アリバイ工作的な時限再販論はむしろ書店側にとって迷惑だと認識したほうがいい。そのための労力を考えれば、少しばかり利幅がとれたとしても、労力と手間暇がかかるだけで何のメリットもない。》(137-138ページ)
 古田はまた「本屋大賞」のような書店人が選んで全国一律で本を売る方式にも批判的である。書店人がみずからのかかわる書店立地や環境などを考慮することなく、日々の棚作りの努力を怠ったままで安易に本を選んで売ろうとする姿勢はおかしい、と。古田は別のインタビューに答えて棚作りについてこう言う――「僕は品揃えや、この本の横にこれを......といった並べ方など、どの棚も印象づけできるように仕掛けをしています。それが毎日の仕事です。店頭の日常こそが、ライブみたいなものですよ」(154ページ)と。
 ひさしぶりに名古屋を訪ねて古田と本の話をしたくなった。

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