77 追悼・木前利秋 

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 木前利秋さんが亡くなったのは十二月四日の朝だという知らせが入ったのはその翌朝のことである。その日の夜中二時すぎに、木前さんに指導を受けたという亀山俊朗氏からメールが送られてきていたのである。
 亡くなる前々日の十二月二日の夜八時すぎだと思うが、なんとなく虫の知らせか、長らく進行の止まっていたハーバーマス論の仕上げ状況を聞いておかなくては、ということもあって自宅へ電話をしたのだが、夫人が電話を取り次いでくれた木前さんの開口一番のことばが「末期ガンで、もうなにもできません」というなんとも弱々しいことばだった。背筋がぞおっとするような、まさに霊界からの声のようなその声はなにごとかを伝えようとするかのようにつぶやかれたのだが、わたしはショックのあまりその内容をよく聞き取れなかったけれども、セキズイがどうとかというふうに聞こえたような気がする。まもなくして「妻に代わります」と言って夫人と代わってもらって事情をいろいろうかがったのだが、その辛そうな声を聞いたのが最後になってしまった。
 六日の大津での通夜に駆けつけたのはもちろんだが、棺のなかの木前さんのまったく変わり果てたその面差しには当然ながら生気のかけらもなく闘病生活の痕跡がうかがわれ、ことばを失なった。喪主である夫人がことば少なに語ったところによれば、三年半前に前立腺ガンを告知され骨にも転移していたため手術ができなかったとのことである。わたしの記録によればことしの一月十六日に家に電話を入れたときに、夫人から持病が再発したという話を聞いていただけで、不覚にもそれがどんな病気なのか聞きそびれてしまい、その後も気になりながら電話をできないままでいたことに自分に深い失望をしているところである。懸案のハーバーマス論の元になる論考のほとんどは「未来」に連載として書いてもらっていたので、毎月かならず電話とメール、FAXのやりとりがあったのに、ここへきて自分の忙しさにかまけて連絡を怠ったことがこんな大事になるとは予想できなかった。
 木前利秋さんとのつきあいはかれの東京時代にさかのぼる。その後、富山大学時代があり、大阪大学に移ってからもすでに十数年になるのではないか。その間もときどき連絡しては単行著書の刊行を促しつづけていたのだが、それがようやく実ったのがかれの唯一の単著となった『メタ構想力――ヴィーコ・マルクス・アーレント』で二〇〇八年三月のことだった。そのあとから念願のハーバーマス論を書くことを決意して始めたのが、さきほど触れた「未来」での連載であった。これは同年十月号から連載が始まっている。わずかに五年前のことである。その間、木前さんは十五本ほどの論考を断続的に書いてくれたのが、近刊予定にしていたハーバーマス論の中核になるはずであった。毎回きっちりした原稿を書いてくれて、催促も校正もかなり大変だったが、仕事に慎重な木前さんに原稿を集積していってもらうにはこれしか方法がなかった。その仕上げを直前にしてもなおかつ、最後の書き下ろしの一章のためにハーバーマス研究書の原書を何冊も積み上げてこれらを読んでからでなければ書けないということで時間を使っていたようで、そのために刊行が遅れてしまい、こんな事態を迎えてしまったのがわたしにはなんとも残念でならない。夫人にもやりたいのは仕事だと言いつづけていたとのことで、その念頭にあったのがこのハーバーマス論の仕上げであることは間違いなく、刊行されれば群を抜いたハーバーマス理解の書として注目されただろうし、ライフワークともなったであろう。その木前さんの心情を思うとなんともやりきれないのである。二日の電話のさいに夫人にはなんとか回復することができそうだったら、この仕事を仕上げるように言ってほしいと伝え、もしかしたらそのことがきっかけで奇跡的な回復がみられるかもしれないと淡い期待を抱いたのだが、むなしかった。当人には不満もあろうが、なんとか残された原稿を一冊にできないものかと考えている。
 木前利秋、享年六二歳。その図抜けた知識と能力の高さからいっても、もっともっと大きな仕事をしていいひとだった。人格的にもひとに嫌われるようなところはいっさいなく、慎重さと謙虚さのかたまりのようなひとだっただけに周りがもっと配慮してあげなければならなかった。いつも電話すると、はにかむような声が受話器の向こうから聞こえてきて、やりたいことを頼まれたときは心から喜んでくれていたのだろう。わたしより年下だったからこちらにも油断があったのかもしれないが、思えばあまり頑健なほうではなかっただろうから、この早すぎる死を惜しんでもすでに遅いのである。こんな文章を書かなければならないのも辛いことである。謹んで哀悼の意を表したい。(2013/12/7)

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未来の窓 1997-2011

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