76 [出版文化再生]への読者の反応から

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 最近、「未来」における本連載コラムについて直接いろいろな批判や言及がなされることがつづいた。ひとつは、十一月号に書いた「[出版文化再生7]いまもつづく〈東大闘争〉――折原浩さんの最新総括から」で折原浩さんほか共著『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(緑風出版)を紹介したさいに、わたしの表現に誤用があったことがいくつものメールや電話などで判明した。「救いがたい退嬰的な時代の流れに棹さすような本」と書いたその「流れに棹さす」がわたしのつもりでは、流れに棹を差すのだから「流れに逆らって、流れに抗して」という意味のはずだったのだが、逆の意味になっていた。流れに乗って、という意味になるということをわたしは初めて知った。不明を恥じるしかない。なかには底意地の悪いメールでの批判もあったが、甘受しよう。ほかのひとの例をあげて慰めてくれた友人もいる。それはともかく、さっそく「流れに抗するような本」と修正して未來社ホームページとココログページで掲載しているブログ版の修正をさせてもらった。さらに「たかが日本語、されど日本語」というブログページで「情に棹さすとロクなことはない」という反省文も書いておいたので、関心のある方は読んでいただきたい(いなくてもしょうがないけど)。
 それにしてもふだんあまり反響のない[出版文化再生]コラムだが、いまさらながら東大闘争と折原浩さんの本に触れたせいか、思いがけない反応があることがわかって驚いている。たまたまなのか、それとも思った以上にこのコラムを読んでくれているひとがいるのかわからないが、当初このコラムを再開するにあたって、以前の[未来の窓]のような出版業界をどことなく意識して(つまり出版社の発行人として)書くのではなく、もっと自由に書く場所として[出版文化再生]コラムを再設定したわたしの意図が、はからずも実現したということかもしれない。
 そんなところへ、今度は新手の批判(?)が現われた。「未来」十二月号に書いた「[出版文化再生8]〈白河以北一山百文〉はいまに通ず」にたいしてある読者から編集部あてにFAXでつぎのような批判文が届いたのである。
《安倍首相批判に長州人を持ち出すのに戸惑います。人の属性で人を語る文章に「未来」で出会うとは思いませんでした。これは大げさでなくヘイトスピーチと同根です。出自で何かを語っても空しいし、人間尊重とは逆方向の文化です。/よろしくご検討ください。》
 わたしは、先ほども書いたような理由で個人としては逃げも隠れもしないが、この批判には根本的な誤解ないし読み違えがある。まずわたしは長州_¨人¨_としての属性で安倍首相批判をしているわけではまったくない。ちゃんと読んでもらえばわかると思うが、戊辰戦争以来の、あるいは明治維新以来の長州_¨藩¨_の歴史的な政権奪取~権力支配の構造と、そこに連綿とつながる「長州藩がもっていた好戦性、自己中心主義、民衆蔑視、支配欲の前時代的な妄想」(前号のわたしの表現)から演繹した安倍政権の危険性を指摘したまでであって、そのときには触れられなかったが、ここへきて民主主義無視の「特定秘密保護法案」の国会強行突破の姿勢にも端的に現われている独善=密室政治への指向性を批判しているのである。「ヘイトスピーチ」というのはこういう根拠のあるわたしの言説のようなものに向けられるべきものではない。強者あるいは権力者が弱者あるいは被抑圧者にたいして権力的な言説あるいは振舞いとして、既成の権力構造あるいは抑圧構造を強引に固定させようとして発するものが「ヘイトスピーチ」の本質である。わたしの文章のどこにそんな構造があるのか。わたしへの批判は石破茂自民党幹事長の「デモでの絶叫はテロと同じだ」という発言に通ずるものではないか。
 以前、第一次安倍政権ができたときにわたしは[未来の窓]でその世間知らずぶりを批判し政権は長続きしないだろうと予想したが、当時、まわりからは期待をもって迎えられた安倍首相だっただけに、そういう批判をしたわたしに匿名の読者から「お前のような奴は日本から出て行け!」というハガキを頂戴したことがあった。また沖縄に触れた文章にたいしてある沖縄のアメリカ帰りの学者から《社主が個人的主張を出版社(publisher)という公共性の高い媒体を通じて表明してしまうことにも危惧を覚えます》という公正を装った批判があった。もちろんそれには「沖縄問題をめぐる知的恫喝を警戒しよう」という反批判(「未来」二〇一〇年七月号、のち『出版文化再生――あらためて本の力を考える』に収録)を書いているので、そちらも参照していただきたいが、一個人としての発言を出版人であるという理由だけで封殺しようとするこうした理解のなかにこそある種の逆立ちした「ヘイトスピーチ」がはらまれているのではないか。
 だからこうした批判がくるのは想定していたことではあるが、わたしの安倍批判が「ヘイトスピーチ」だというのは、ことの本質をあえて見ようとしないことである。末尾の「よろしくご検討ください。」が誰に何を言いたいのかよくわからないが、自分のような良識人の読者のためにこの種の文章を編集部は掲載しないようにしてほしいというつもりなのだろう。とんだお門違いだというのが、この文章を書いた理由である。そしてこうした「良心的」事なかれ主義がこれからも出てくるだろうことは、このコラムで言うべきことはきちんと言おうとすることにしたわたしの立場から先刻承知していることである。なんのことはない、こうしたリアル・ポリティクスにかんする文章を書くと、こうした巧妙な抑圧をかけてくる人間がでてくるのである。   

*ここで言及したブログはそれぞれhttp://www.miraisha.co.jp/shuppan_bunka_saisei/(本ページ)、http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/shuppan_bunka_saisei/http://poiesis1990.cocolog-nifty.com/nishitani_talk/でご覧になれます。

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未来の窓 1997-2011

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