53 書物の現場を知るための一冊――柴野京子『書物の環境論』を読む

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 柴野京子さんから送ってもらった『書物の環境論』をおもしろく読んだ。この本は弘文堂が新しく始めた「現代社会学ライブラリー」というシリーズの一冊として書き下ろされたものであり、コンパクトななかに出版の歴史から直近の出版情報まで盛りだくさんに書き込まれており、なかなかよくまとまっている。いかにも取次の現場にいたひとらしく、流通という視点からみた書物の置かれる場所と環境といった現状を洗い出して、その問題点を過不足なく論じていく手さばきは堂に入ったものである。だからこその「環境論」ということなのだろう。この本の狙いはメディア論として本と出版について論じようとしたものだと柴野さんがはじめのほうで書いているとおりの成果を収めている。
 わたしのように本や出版について語るとおのずから編集の問題や文化論のほうへ傾いてしまう人間にとっては、こうした柴野流の外側からのアプローチには馴染みにくいところがあるが、それでも、たとえば、日本の出版業の歴史をふりかえって、取次という存在が日本において特異なかたちで発展した結果、欧米の業界にくらべてある種の合理性が獲得されているという指摘など、なるほどと思わせるところがある。世界大戦を契機として日本の出版界が統合されたことに起因する一元流通のしくみが、本の環境にとって「公共的」な環境となっていること、取次について言えば、「ここに投資や体力が必要な部分を集めることで、出版社が大きな資本の傘下に吸収されずにすむ」(本書40ページ)こと、そして取次とは出版業界ぐるみの「大型アウトソーシング」(同前)であることの指摘なども興味深い。この公共的環境があるために、「小さい規模の出版社や書店でも、大手とおなじように出版物の生産や流通が自由に行える」(46ページ)ことによって文化の多様性が保護されていると柴野さんは書いている。このあたりはやや目線がすこし上のほうに行き過ぎているように思えるところがあって、現実はもっと不平等な自由しか存在しないのではないかと思われるが。
 柴野さんの本で知ったことはいろいろあるが、おもしろかったのは、岩波文庫が初めて業界的に売上げスリップを始めたこと、文庫のオビ色を5種類にすることによって、書店への補充とその収納するべき棚の場所がわかりやすくなったこと、そしてそれが「書店の書棚空間を利用し、占有しようとするものだった」こと、「文庫は書店の棚を利用した」(138ページ)ものになったこと、といった見方で、これは一種のメディアテクノロジーであったといった指摘である。なるほど、本来は書店の自由と自発性の表現であったはずの書棚がこうして出版社主導の棚に変えられていったとすれば、岩波文庫の戦略はきわめて大きな影響を与えたことになる。わたしなども深くかかわった人文会による人文書の棚分類と必須アイテムのリスト作りなども、結局はこうした出版社主導の書店戦略と言われてもしかたのない面をもっていたかもしれない。こういう見方もあるのか、という視点の違いはこの本を読むうえでいろいろ参考にもなり、気づかせられたことも多かった。
 この本が流通現場の経験者の立場から書かれた「環境論」であるためか、出版の内実を支えている著者や編集者の仕事に内側から迫る観点がいっさい捨象されているのは、もちろんないものねだりであるが、製作現場の問題にもっと踏み込んでもらえたら、よりいっそう立体的な書物論、出版論が生まれるのではないかと思う。わたしがかかわってきているような編集的側面、文化論的視点がほとんど論及されていないのが、わずかに不満と言えば言えようか。(2012/10/4)

(この文章は「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)

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