28日の夕方に那覇に着き、さっそく6時から首里のレストラン「FORATO」で仲里効『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』(未來社)・崎山多美『月や、あらん』(なんよう文庫)の共同出版会に参加し、つづいて29日は6時から久米の沖縄青年会館で写真家・山田實さんの94歳の誕生祝いをかねた、写真集『故郷は戦場だった』(未來社)と『山田實が見た戦後沖縄』(琉球新報社)の出版を祝う会に出席した。後者はわたしが力を入れてきた沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻の完結祝いをかねての祝賀会でもあり盛大な集まりだった。めずらしく日曜と月曜という変則的日程だったが、いずれも仲里効さんがキーマンとしてからんだ企画の集大成であることもあり、いずれも版元挨拶が設定されていて、これは無理をしてでも参加しないわけにいかなかった。それに9月から沖縄県立博物館・美術館で開催されている「山田實展 人と時の往来」もきょうの朝早く出かけて行って急ぎ足ながら見て東京へ帰ってきたという次第である。
仲里効さんの新著『悲しき亜言語帯』は、1972年という沖縄の「本土復帰」の年の映画と映像を対象とした『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(2007年)と、沖縄に関係の深い写真家を論じた『フォトネシア――眼の回帰線』(2009年)とともに、わたしが命名したということになっている〈仲里効沖縄批評三部作〉の集大成として。小説、詩、戯曲を中心に論じた文学批評集である。いずれも沖縄のイメージや言説に深く食い込んだそれぞれの表現者の表現をめぐって、さらに批評的な鋭い分析をくわえた端倪すべからざる言説を縦横に展開した力作ぞろいである。この三部作のうち、実際にわたしが企画と編集にかかわったのは最後の2冊だが、これを〈沖縄〉と〈批評〉をコアにして仲里効という稀代の評論家に最新の論陣を張ってもらうという構想はなかなかのものだとわたしは確信している。そうしたなかで『悲しき亜言語帯』で熱く論じられた作家・崎山多美との合同出版会(出版記念会ではなく、自由に論じあうという意味での出版会だと主催者は主張していた)は、仲里さんの批評がたえず軸線を動かしながら他者との関係を構築し(直し)ていく力学を孕んでいることをおのずから示唆している。この流れのなかで崎山多美さんの小説にも今後かかわりがもてそうな予感がしている。(その後、きょうの帰りの飛行機の中で読んだ『月や、あらん』のタイトル作は、沖縄に移ってきたらしい「カリスマ女性編集者」の偏執的なこだわりが次第に内的な人格崩壊に導かれるという衝撃作で、ウチナーグチを随所に織り込んだ手法にはあらためて瞠目させられた。)
こうした仲里効の批評が孕むおのずからなる運動の力学は、『フォトネシア』の元になった原稿を雑誌連載中に、わたしが無謀にも関心をもった(もたされた?)沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉という大企画を触発させることによって、このたび3年の年月をかけて完結した写真集全9冊にも反映している。きのうの山田實さんの祝賀会は、沖縄の写真界の草分け的存在であるばかりでなく、いまもその豊かで包容力のある人柄で沖縄の文化界の重鎮でありつづけている山田實という人間をあらためて浮彫りにした感銘深い会であった。そしてその山田さんをトリにしてシリーズ完結を意図した仲里効の文化戦略は、その意味できのうの沖縄文化人総結集の場を必然的に演出するものであったと言っても過言ではない。わたしはみごとにそのお先棒を担がせてもらったわけだが、こうした無謀ではあるが、手前味噌を覚悟で言えばおそらく日本の出版史上においても稀にみる写真集シリーズの企画の現実化は、たしかに仲里効という強力な個性と才能との遭遇なしには起こりえなかった。そのかぎりにおいて、出版人としてのわたしの仕事もここにひとつの達成をみたと自負してもいいと思う。
〈仲里効沖縄批評三部作〉と沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻のほぼ同時的完結によって、連日の出版祝賀会が開かれたのは、したがって、なんの偶然でもない。しかし、これが沖縄をめぐるわたしの一連の出版活動のひとつの大きな区切りになったことは事実であり、ある意味では寂しくなくもない。ここまでに築いてきた拠点をさらなるステップによって新しい展開を見出していかなければならないと気を引き締めなおそうと思っているところである。(2012/10/30)
(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)
仲里効さんの新著『悲しき亜言語帯』は、1972年という沖縄の「本土復帰」の年の映画と映像を対象とした『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(2007年)と、沖縄に関係の深い写真家を論じた『フォトネシア――眼の回帰線』(2009年)とともに、わたしが命名したということになっている〈仲里効沖縄批評三部作〉の集大成として。小説、詩、戯曲を中心に論じた文学批評集である。いずれも沖縄のイメージや言説に深く食い込んだそれぞれの表現者の表現をめぐって、さらに批評的な鋭い分析をくわえた端倪すべからざる言説を縦横に展開した力作ぞろいである。この三部作のうち、実際にわたしが企画と編集にかかわったのは最後の2冊だが、これを〈沖縄〉と〈批評〉をコアにして仲里効という稀代の評論家に最新の論陣を張ってもらうという構想はなかなかのものだとわたしは確信している。そうしたなかで『悲しき亜言語帯』で熱く論じられた作家・崎山多美との合同出版会(出版記念会ではなく、自由に論じあうという意味での出版会だと主催者は主張していた)は、仲里さんの批評がたえず軸線を動かしながら他者との関係を構築し(直し)ていく力学を孕んでいることをおのずから示唆している。この流れのなかで崎山多美さんの小説にも今後かかわりがもてそうな予感がしている。(その後、きょうの帰りの飛行機の中で読んだ『月や、あらん』のタイトル作は、沖縄に移ってきたらしい「カリスマ女性編集者」の偏執的なこだわりが次第に内的な人格崩壊に導かれるという衝撃作で、ウチナーグチを随所に織り込んだ手法にはあらためて瞠目させられた。)
こうした仲里効の批評が孕むおのずからなる運動の力学は、『フォトネシア』の元になった原稿を雑誌連載中に、わたしが無謀にも関心をもった(もたされた?)沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉という大企画を触発させることによって、このたび3年の年月をかけて完結した写真集全9冊にも反映している。きのうの山田實さんの祝賀会は、沖縄の写真界の草分け的存在であるばかりでなく、いまもその豊かで包容力のある人柄で沖縄の文化界の重鎮でありつづけている山田實という人間をあらためて浮彫りにした感銘深い会であった。そしてその山田さんをトリにしてシリーズ完結を意図した仲里効の文化戦略は、その意味できのうの沖縄文化人総結集の場を必然的に演出するものであったと言っても過言ではない。わたしはみごとにそのお先棒を担がせてもらったわけだが、こうした無謀ではあるが、手前味噌を覚悟で言えばおそらく日本の出版史上においても稀にみる写真集シリーズの企画の現実化は、たしかに仲里効という強力な個性と才能との遭遇なしには起こりえなかった。そのかぎりにおいて、出版人としてのわたしの仕事もここにひとつの達成をみたと自負してもいいと思う。
〈仲里効沖縄批評三部作〉と沖縄写真家シリーズ〈琉球烈像〉全9巻のほぼ同時的完結によって、連日の出版祝賀会が開かれたのは、したがって、なんの偶然でもない。しかし、これが沖縄をめぐるわたしの一連の出版活動のひとつの大きな区切りになったことは事実であり、ある意味では寂しくなくもない。ここまでに築いてきた拠点をさらなるステップによって新しい展開を見出していかなければならないと気を引き締めなおそうと思っているところである。(2012/10/30)
(この文章は前日に「西谷の本音でトーク」で書いた同題の文章を推敲のうえ転載したものです。)