宮本常一『私の日本地図8 沖縄』の「沖縄雑感」というまとめの部分を読んでいると、宮本常一という人間がどれほど沖縄の振興に気をもんでいるかということが伝わってくる。離島振興に力を入れていた宮本だからよけいそうなのだろうが、1969年という「復帰」の3年前の渡航記である本書には、短期間であったとはいえ、現地の案内も得て離島もふくむ観察記事と多くの貴重な写真を残してくれている。いまも変わらない部分とまったく変わってしまった部分があるだろう。わたしは那覇中心にしか行く機会がなかなか得られないが、それ以外のところは案外そんなに変わっていないのではないか、とも思う。
そうした宮本の文章は善意にあふれているが、ところどころ気になるところもある。たとえば1969年時点で、会うひとの誰もが日本への復帰を望んでいるという記述や、教職員の標準語教育が成功して誰もが日本語に習熟していることを讃美するようなところである。ほんとうにそうだったのか。仲里効の『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』などによれば、そういう日本語教育がいかに歪んだものをふくんでいたか、ということを内部的に告発しているところがある。また「反復帰論」と呼ばれる思想的運動もそれなりに力をもっていたはずで、それが今日の沖縄独立論の源流にもなっているように思うが、その件にはまったく言及がない。このあたりに限界が見えるとも言えるが、それはないものねだりなのだろうか。
宮本常一のこの本をどう読むかは読者の立場や見識によるだろうが、これからの沖縄を考える意味でもいぜんとして有効な問題提起をたくさん含んでいると思う。(2012/6/15)
そうした宮本の文章は善意にあふれているが、ところどころ気になるところもある。たとえば1969年時点で、会うひとの誰もが日本への復帰を望んでいるという記述や、教職員の標準語教育が成功して誰もが日本語に習熟していることを讃美するようなところである。ほんとうにそうだったのか。仲里効の『悲しき亜言語帯――沖縄・交差する植民地主義』などによれば、そういう日本語教育がいかに歪んだものをふくんでいたか、ということを内部的に告発しているところがある。また「反復帰論」と呼ばれる思想的運動もそれなりに力をもっていたはずで、それが今日の沖縄独立論の源流にもなっているように思うが、その件にはまったく言及がない。このあたりに限界が見えるとも言えるが、それはないものねだりなのだろうか。
宮本常一のこの本をどう読むかは読者の立場や見識によるだろうが、これからの沖縄を考える意味でもいぜんとして有効な問題提起をたくさん含んでいると思う。(2012/6/15)