「エディターシップ」1号という雑誌を読んでいろいろ思うところがあった。これは日本編集者学会というグループが発行している学会誌であり、その学会の副会長であり発行元であるトランスビューの中嶋廣さんから送ってもらったものであるが、こういう動きに疎いわたしはこういう学会が存在することも知らなかった。ちなみに会長は長谷川郁夫。長谷川さんと言えば、直接の面識はないが、かつての小沢書店の社主。いまは大阪芸術大学で教鞭をとっているらしい。
こうした顔ぶれからも想像できるように、〈編集〉という営為になんらかの積極的な意味づけを与えようという意図のもとにさまざまな編集者が結集した学会らしい。わたしも編集者の社会的ありかたには〈レフェリー〉的役割があると考えているが、それにしても〈編集学〉のようなものが存在すると思ったことはない。同じようなものに日本出版学会があり、〈出版学〉の存在だってどんなものかなとは思うが、こちらには出版の歴史や出版業界のしくみの研究などいくらか学問的なフィールドの余地があるから学会と呼べなくもないが、編集者学会となるといささか鼻白むものがある。
創刊号も全部読ませてもらったわけではないが、巻末の学会シンポジウム「書物の現在そして未来」などを読んでも、現役の編集者と元編集者の大学人たちの個人的体験にもとづく編集論はそれぞれの立場を反映したものとして興味深く読める反面、たとえば電子書籍にたいする見解などにはさほど傾聴に値するものは見られなかった。編集者といっても、出版社の規模やジャンル、方向性においてあまりにもさまざまな人種が存在するなかで、どこまで学会としての独自性を打ち出していけるのか、今後の展開を見ていく必要がある。
このなかで元平凡社の編集者でもあったという石塚純一の「人文書の編集者」の最後で、これからの人文書の編集について触れたところがわたしにも納得できるものがあったので引いておこう。
「いまの状況を見て思うんですけれど、そもそも書物を読む人口は昔から多くはなかった。人文書を読む人の数を三千人だとすると、文学系を読む人は千五百人くらい、歴史好きは千人、その他宗教・芸術とかが五百人、そんなものです。まったくの専門書を出すならばそれぞれの数を目標にすればいい。しかし、ある専門の隣の領域の読者にも刺激的な内容の本だったら、千プラス五百の読者を得ることができる。このように領域が異なる良質な読者の小さな輪を想定し、そこにぶつけていくのが人文書編集者の腕ではないかという気がしています。」
わたしもかつてほぼこれと同じようなことを話しかつ書いたことがある。(*)ジャンルオーバーする人文書の可能性はたしかに多く見積もっても三千人、狭くとれば千人という数字はきわめて現実的になってきている。千冊がひとまず売れることはいまや人文書にとって最初のハードルと言えなくもない。
そうした厳しい現実はあっても、この水準で出版社を維持していくことができれば、出版業は今後もかろうじて成り立つ。しかし量を指向してきた出版業界としては崩壊していかざるをえないだろう。量の世界から質の世界へ、はたしてどういうかたちで出版は維持されていくのだろう。
*昨年十一月に刊行した拙著『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の「編集者と読者の交流の試み」を参照されたい。(2012/4/18)
こうした顔ぶれからも想像できるように、〈編集〉という営為になんらかの積極的な意味づけを与えようという意図のもとにさまざまな編集者が結集した学会らしい。わたしも編集者の社会的ありかたには〈レフェリー〉的役割があると考えているが、それにしても〈編集学〉のようなものが存在すると思ったことはない。同じようなものに日本出版学会があり、〈出版学〉の存在だってどんなものかなとは思うが、こちらには出版の歴史や出版業界のしくみの研究などいくらか学問的なフィールドの余地があるから学会と呼べなくもないが、編集者学会となるといささか鼻白むものがある。
創刊号も全部読ませてもらったわけではないが、巻末の学会シンポジウム「書物の現在そして未来」などを読んでも、現役の編集者と元編集者の大学人たちの個人的体験にもとづく編集論はそれぞれの立場を反映したものとして興味深く読める反面、たとえば電子書籍にたいする見解などにはさほど傾聴に値するものは見られなかった。編集者といっても、出版社の規模やジャンル、方向性においてあまりにもさまざまな人種が存在するなかで、どこまで学会としての独自性を打ち出していけるのか、今後の展開を見ていく必要がある。
このなかで元平凡社の編集者でもあったという石塚純一の「人文書の編集者」の最後で、これからの人文書の編集について触れたところがわたしにも納得できるものがあったので引いておこう。
「いまの状況を見て思うんですけれど、そもそも書物を読む人口は昔から多くはなかった。人文書を読む人の数を三千人だとすると、文学系を読む人は千五百人くらい、歴史好きは千人、その他宗教・芸術とかが五百人、そんなものです。まったくの専門書を出すならばそれぞれの数を目標にすればいい。しかし、ある専門の隣の領域の読者にも刺激的な内容の本だったら、千プラス五百の読者を得ることができる。このように領域が異なる良質な読者の小さな輪を想定し、そこにぶつけていくのが人文書編集者の腕ではないかという気がしています。」
わたしもかつてほぼこれと同じようなことを話しかつ書いたことがある。(*)ジャンルオーバーする人文書の可能性はたしかに多く見積もっても三千人、狭くとれば千人という数字はきわめて現実的になってきている。千冊がひとまず売れることはいまや人文書にとって最初のハードルと言えなくもない。
そうした厳しい現実はあっても、この水準で出版社を維持していくことができれば、出版業は今後もかろうじて成り立つ。しかし量を指向してきた出版業界としては崩壊していかざるをえないだろう。量の世界から質の世界へ、はたしてどういうかたちで出版は維持されていくのだろう。
*昨年十一月に刊行した拙著『出版文化再生――あらためて本の力を考える』の「編集者と読者の交流の試み」を参照されたい。(2012/4/18)